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画-かく-

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 また、入画審査を終えた者は自動的に画内駅に行くように、審査を受けない者は自動的に画外駅に行くように空港ビルがレイアウトされているので駅を間違えることはない。リムジンバスも同じだ。
 少し厄介なのは国際線ターミナルだ。画内に行く者は入国審査が終わった後に更に入画審査を受けなければならない。慣れない外国人は入国審査が2度あるのかと勘違いし、戸惑ったり不満を言う者もいるが、事前に機内でアナウンスされているのでそれほどトラブルは起きていないようだ。
 
 天井から下がった発車標を見ると次は各駅停車の成田空港行きのようだ。発車までまだ10分ほどある。神村からのメールを確認すると7時30分から新橋のけやきという料理屋だった。知らない店だが多分神村の行きつけだろう。
 
 時間があるので友人の保坂に電話を入れる。保坂は神奈川県の相模原で農業をしている。もとは大手銀行に勤めるやり手バンカーだったが、10年前に突然銀行を辞めた。そして有機無農薬の農業を始めた。
 若い頃から趣味で畑仕事をしていた男が脱サラして就農する典型的なパターンのように思われがちだが、綿密な営農計画と販売戦略に基づいて着実に業績を伸ばしていた。
 その保坂から先週突然電話があった。会いたいので今週北海道に来るという。私が今週上京することを告げ、東京での滞在を1日延ばして相模原で会うことにしていた。
 「保坂さん?お久しぶり。旭川の芳野です。少し前に羽田に着いたよ」
 「やぁ芳野か。久しぶり。元気そうな声だ。北海道で優雅に暮らしてるんだろう」
 「のんびりやってる。田舎はいいよ」
 「そうか、そりゃ何よりだ。早速だが明日会えるか」
 「いや、明日は無理だ。うちの東京工場に行かなければいけない。明後日なら何時でも大丈夫だ」
 「分かった。なら悪いが相模原に来てくれるよな」
 「いいよ。畑が忙しいのか」
 「いや、会って欲しい人がいる」
 「誰だ」
 「お前は知らないと思う。1時に橋本駅の駅前で待ってる。白い軽トラだ」
 「分かった」と答えるや否や、ではと言って保坂が電話を切った。いつもこんな調子だ。愛想というものがない。しかし、面と向かって話していると情熱と人間の温かみが伝わってくる不思議な奴だ。
 
 通話を終えてから、わざわざ北海道まで来ようとしていた理由を聞き逃したことに気が付いた。入画カウンターの分岐点は通り過ぎるし、今日はなんだかボケてるな。3年間の北海道暮らしで焼きが回ったか、それとも東京の一足早い春のせいか。まぁ保坂の件は明後日でいいか。バッグをベンチに置いて、思い切り伸びをしたらあくびとくしゃみが同時に出た。
 
 
3.首都強化法
 画は、いわゆる「首都強化法」、正確には「首都及び高度に産業が集積する都市における機能の強化に関する法律」という近寄り難い名前の法律に基づいて作られた。
 首都強化法は2028年に成立し、2029年に施行された。つまり私が農務省を辞める4年前にこの法律ができたことになる。
 法律の目的はその第1条に「この法律は、首都及び高度に産業が集積する都市(以下「首都等」という。)における産業、行政、通信、文教、その他の機能(以下「産業等機能」という。)の保全に万全を期すため、保全すべき区画を定めるとともに、区画内における居住、就労、学習、滞在、その他の活動に係る規制に関し必要な事項を定めることにより、首都等における産業等機能の高度な発揮を図り、もつて国民生活の安定と国民経済の発展に資することを目的とする。」と、まともな感覚を持つ人間ならとても読む気の起こらない言葉が並んでいる。
 もっともらしい事を言っているが、法律の目的はただ一つ、首都東京の、しかもその中心部の治安維持の強化にある。その証拠に、画は東京のほか札幌、名古屋、大阪、福岡にも作られてはいるが、画の出入りは東京ほどには厳重に管理されていないようだし、横浜、京都、神戸は区域の設定が難しいという理由で、仙台、広島は集積度が低いという理由で作られていない。

 画は何故できたのだろうか?何故こうまで東京の治安維持の強化が必要になったのだろうか?
 発端は2026年10月31日ハロウィーンの日の夕刻に起きた凄惨なテロ事件にあることは間違いない。
 テロ事件とはどのようなものだったのか?テロが起こった背景、テロ事件に至るまでの道のり、そしてその後のこの国がたどった道のりを、暗いトンネルの先を見つめながら思い出していた。


4.金融緩和
 2013年、今から22年前になる。当時、私は森林局の係長をしていた。
 その頃、日本の森は有史以来最も豊かな森だった。まさかと思うかもしれないが本当だ。ただ、大半の国民にとってそのようなことはどうでも良いことだし、関心を寄せることもなかった。
 何故なら、その頃日本で必要とする木材は7割以上が海外から船に乗って入って来ていたからだ。そんな日本に豊かな森林資源が眠っているとは思わないだろう。
 私の仕事は、その豊かな森林資源をいかにして計画的に活用するか?その対策を立案することだった。何故なら、その頃日本の経済は停滞し、特に地方の経済は疲弊していた。中でも山村の窮状は深刻で、人口が減り高齢化は極限状態、まさに消滅の危機にあった。
 そこで、森林資源が豊富な山村を新たなフロンティアとして位置づけ、森林資源を有効に加工・流通するシステムを創出することで新たな雇用の場を生み出し、山村に人を呼び戻して発展させようと考えたのだ。そのための戦略を作る。これが当時の森林局の最重要課題の一つだった。私はその戦略作りのプロジェクトチームの一員だった。とはいえ、チームで最も若い私は使い走りのようなものではあったが。
 
 丁度その頃、日銀が起死回生の景気回復策として、劇薬とも言える「異次元の金融緩和」を断行した。
 この金融緩和が功を奏して日本経済は劇的に回復した。失われた20年、その後に襲った東日本大震災に伴う経済の混乱を見事に克服した、表面上は。
 2015年には15年ぶりに株価が2万円台を回復した。日本経済は当面順調に拡大するものと多くの人が思っているようだった。
 しかし、好景気を実感できたのは金融資産や優良な不動産をもつ富裕層や大手企業の正規社員など一握りの層だけだ。時の政府は量的緩和と円安によって企業の業績は拡大する。そして、企業の利益の一部は当然労働者に還元される。しばらく待てば必ず賃上げに反映されると盛んに喧伝した。
 
 そして、大企業のトップを集めた会議を開いて社員の賃上げを強く迫った。円安の恩恵を受けた大手企業の売上は大幅に伸びていた。売り上げがさほど伸びなかった企業も財務状況は改善した。
 しかし、業績が伸び財務状況が改善しても経営側の財布の紐は固かった。今業績が良いといっても先行きの保証など何もない。来年、再来年は良いかもしれない。しかし5年先はどうなるかわからない。そんな中で大盤振る舞いなどできるはずがない。労働者は何の裏付けもない政府のプロパガンダに期待を寄せたが、与えられる果実はわずかなものだった。
作品名:画-かく- 作家名:芳野 喬