画-かく-
第1章 入画審査
1.入画審査
ボーディング・ブリッジを抜け空港ビルの通路を歩き始めたときにスマホが震え、メール着信音が鳴った。同期会の幹事をしている神村からだった。同期会は今夕予定されている。同期会の場所と時刻は早くて前々日、大抵は当日になって幹事がメールで知らせてくるといういつものパターンだ。
時計は午後3時を少し回ったところ。まずはホテルに行ってチェックインを済ませ、その後、神村のオフィスに行って幹事の労をねぎらい、昨今の東京の情勢でも聞かせてもらおう。とはいえそうそう長居もできないだろうし、同期会まで時間を何処でどうつぶすかと考えているうちに「入画審査カウンター」への分岐点を通り過ぎ「画外出口」に向かっていた。
妙に人が多くてザワついている。何となく落ち着かない気分を感じると同時に分岐点を通り過ぎていたことに気付いて立ち止まった途端、右足のすねに衝撃を受けた。
右横を赤い大きなキャリーバッグを引いた化粧の濃いミニスカートの若い女が追い越し、後ろを振り向きニヤリとしながらわずかに頭を下げ、すぐに前を向き直して立ち去って行った。何か言ってやろうかと思った途端、後ろから「早く歩けよ!」と若い男の怒鳴る声。あわてて人の群れをかき分け窓際に逃れた。
早春のすこし霞んだ青空の下、駐機している飛行機の間をコンテナを何個も連結した牽引車が器用に直角に曲がりながらせわしなく走り回っている。ガラス越しに光の温もりを感じながら、しばらくの間午後の空港を眺めていた。
背後のザワつきが収まったようなので、人影のない通路を入画審査の分岐点まで戻り、そこを右に折れて30mほど歩いてようやく入画審査場に着いた。同じ飛行機に乗っていた人たちの姿は既になく、冷たい静けさが漂っていた。
審査場入口には天井から「画内居住権所有者又は入画許可所有者Inner resident /
Entry approved」と表示された青い誘導灯と「外国人又は短期特別入画者 Foreigner / Temporary entering nation」と表示された赤い誘導灯が下がっており、短期入画者である私は赤い誘導灯の方に進む。
カウンターでカード読み取り機に「国民カード」をタッチする。審査官から「宿泊先と滞在期間は?」と問われ「品川パレスホテルに3月9日まで4日間」と答える。
審査官はパソコンの画面を見つめながら「もし滞在期間が伸びるようならホテルで延長手続きができますので必ず手続きをお願いします。では、カメラを見てください」と指示した。カメラに顔を向けて3、4秒待つとカメラの横のスタンドに緑のランプが点って入画審査が終了した。
東京には「画」がある。画は「区画」の画だが今では区を省略して画と呼ばれている。今日は2035年3月6日。画の制度が始まって6年近く経つ。画に関係する施設は一部の区間を除いて着工後4年でほぼ全域が整備されたが、全ての区間が完成したのは昨年の夏だ。
画は皇居を中心としたほぼ楕円形の区域で、幅100mの緑地帯と隅田川で囲まれている。画の内側は通称「画内」と言われているが、画内に居住できる者、画内に立ち入ることのできる者は一部の国民に限られ、居住や立ち入りは政府により厳重に管理されている。
私の名前は芳野喬、3年前まで農務省森林局に勤務し東京都内のマンションに妻と二人で暮らしていた。子供はいない。
私が東京を離れたのは、画の境界線となる緑地帯の建設が急ピッチで進められ、ほぼ全ての区間でその全貌が露わになってきた頃だ。峠は越えたものの建設工事の反対運動は随所で続いており、都内全域にヒリヒリとした緊張感が漂っていた。また、壁のない城壁が次々と完成していく中、得も言われぬ息苦しさが都内を覆っていた。
丁度その頃、妻の親戚筋に当たる北海道の木材会社の会長から北海道北部に所有している森林の管理を任せられる人間を探しているが、農務省を辞めて来てもらえないかというオファーがあった。
当時、画内に居住できる権利は得ていたが、画という閉塞した空間で、この先心穏やかに暮らしていける自信が持てず、一方で北海道北部の広大な森林をこの手で管理するという願ってもない仕事に心動かされ、25年間勤めた森林局を辞め、北の大地に居場所を求めて旭川の中堅木材会社に飛び込んだという次第だ。
そして、今日農務省を退職してから始めて、まさに3年振りの東京だった。入画審査を空港で受けられることは以前から知ってはいたし、機内でもアナウンスがあったので気を付けていたはずだったが、いつの間にか田舎暮らしが身に着いたのだろう。初っ端から手痛い歓迎を受けた。
入画審査を終えて、手荷物受取場を抜けるとそこは画内だ。正確には画外に作られた「出島」のようなものだ。通路の壁面に並ぶ高級衣料ブランドや化粧品の広告パネル、メタンハイドレート関連やIT関連、セキュリティー関連など今をときめく企業の広告パネルを横目に京急線の駅に向かう。歩いているのはビジネススーツ姿の男女が7割ほど、ラフな格好をしている者も3割ほどいるが、着ているものがどれも高級そうだ。急ぎ足の者はいない。エスカレータも二人並んで静かに立っている。歩いて降りようとする者はいない。
お土産物を売る店、コンビニ、ドラッグストア、カフェなどが並んだ明るく広い通路を抜けると、そこに京急線「画内駅」の改札口があった。改札口で国民カードをタッチし、しばらく歩いて階段を下りホームに着いた。
2.画内駅
羽田空港の駅は画がほぼ完成した2年前に、画内駅と画外駅に分割された。分割の目的は、空港発の画内行き直通電車を走らせるためだ。つまり、画内駅から電車に乗れば画外の駅を全て通過してそのまま画内に入ることができる。新しくできた画内駅を使うのは勿論今日が初めてだった。
電車は停車していなかった。駅が二つに分かれたためだろう、画内駅は以前と比べて格段に乗客が少なくなった。空港の発着便が少なくなる時間帯なのでよけいに静かな佇まいだ。ホームは清掃が行き届き、中ほどには大きな鉢植えに囲まれたベンチが数か所配置されていた。ベンチにはキャリーバッグを前に置いた老夫婦一組だけが座っていた。
線路の向こうの壁面には高級衣料ブランドと高級車の広告パネルに挟まれて真っ青な海と空を背景にしたリゾートホテルのパネルが輝いていた。
羽田空港にはモノレール、京急の2社に加え2023年からJRも乗り入れていた。画の境界がほぼ全域で完成した2年前に3社は相次いで国内線ターミナル、国際線ターミナルにそれぞれ画内駅と画外駅を設けた。だから羽田空港には駅は全部で12もある。
画内行きの電車は、国内線ターミナルも国際線ターミナルも画内駅にしか停まらない。また、空港を出ると画内まではノンストップだ。
一方の画外を走る電車は、国内線も国際線も画外駅しか停まらない。その後は画外の区間だけを走る。画内に入ることはない。
1.入画審査
ボーディング・ブリッジを抜け空港ビルの通路を歩き始めたときにスマホが震え、メール着信音が鳴った。同期会の幹事をしている神村からだった。同期会は今夕予定されている。同期会の場所と時刻は早くて前々日、大抵は当日になって幹事がメールで知らせてくるといういつものパターンだ。
時計は午後3時を少し回ったところ。まずはホテルに行ってチェックインを済ませ、その後、神村のオフィスに行って幹事の労をねぎらい、昨今の東京の情勢でも聞かせてもらおう。とはいえそうそう長居もできないだろうし、同期会まで時間を何処でどうつぶすかと考えているうちに「入画審査カウンター」への分岐点を通り過ぎ「画外出口」に向かっていた。
妙に人が多くてザワついている。何となく落ち着かない気分を感じると同時に分岐点を通り過ぎていたことに気付いて立ち止まった途端、右足のすねに衝撃を受けた。
右横を赤い大きなキャリーバッグを引いた化粧の濃いミニスカートの若い女が追い越し、後ろを振り向きニヤリとしながらわずかに頭を下げ、すぐに前を向き直して立ち去って行った。何か言ってやろうかと思った途端、後ろから「早く歩けよ!」と若い男の怒鳴る声。あわてて人の群れをかき分け窓際に逃れた。
早春のすこし霞んだ青空の下、駐機している飛行機の間をコンテナを何個も連結した牽引車が器用に直角に曲がりながらせわしなく走り回っている。ガラス越しに光の温もりを感じながら、しばらくの間午後の空港を眺めていた。
背後のザワつきが収まったようなので、人影のない通路を入画審査の分岐点まで戻り、そこを右に折れて30mほど歩いてようやく入画審査場に着いた。同じ飛行機に乗っていた人たちの姿は既になく、冷たい静けさが漂っていた。
審査場入口には天井から「画内居住権所有者又は入画許可所有者Inner resident /
Entry approved」と表示された青い誘導灯と「外国人又は短期特別入画者 Foreigner / Temporary entering nation」と表示された赤い誘導灯が下がっており、短期入画者である私は赤い誘導灯の方に進む。
カウンターでカード読み取り機に「国民カード」をタッチする。審査官から「宿泊先と滞在期間は?」と問われ「品川パレスホテルに3月9日まで4日間」と答える。
審査官はパソコンの画面を見つめながら「もし滞在期間が伸びるようならホテルで延長手続きができますので必ず手続きをお願いします。では、カメラを見てください」と指示した。カメラに顔を向けて3、4秒待つとカメラの横のスタンドに緑のランプが点って入画審査が終了した。
東京には「画」がある。画は「区画」の画だが今では区を省略して画と呼ばれている。今日は2035年3月6日。画の制度が始まって6年近く経つ。画に関係する施設は一部の区間を除いて着工後4年でほぼ全域が整備されたが、全ての区間が完成したのは昨年の夏だ。
画は皇居を中心としたほぼ楕円形の区域で、幅100mの緑地帯と隅田川で囲まれている。画の内側は通称「画内」と言われているが、画内に居住できる者、画内に立ち入ることのできる者は一部の国民に限られ、居住や立ち入りは政府により厳重に管理されている。
私の名前は芳野喬、3年前まで農務省森林局に勤務し東京都内のマンションに妻と二人で暮らしていた。子供はいない。
私が東京を離れたのは、画の境界線となる緑地帯の建設が急ピッチで進められ、ほぼ全ての区間でその全貌が露わになってきた頃だ。峠は越えたものの建設工事の反対運動は随所で続いており、都内全域にヒリヒリとした緊張感が漂っていた。また、壁のない城壁が次々と完成していく中、得も言われぬ息苦しさが都内を覆っていた。
丁度その頃、妻の親戚筋に当たる北海道の木材会社の会長から北海道北部に所有している森林の管理を任せられる人間を探しているが、農務省を辞めて来てもらえないかというオファーがあった。
当時、画内に居住できる権利は得ていたが、画という閉塞した空間で、この先心穏やかに暮らしていける自信が持てず、一方で北海道北部の広大な森林をこの手で管理するという願ってもない仕事に心動かされ、25年間勤めた森林局を辞め、北の大地に居場所を求めて旭川の中堅木材会社に飛び込んだという次第だ。
そして、今日農務省を退職してから始めて、まさに3年振りの東京だった。入画審査を空港で受けられることは以前から知ってはいたし、機内でもアナウンスがあったので気を付けていたはずだったが、いつの間にか田舎暮らしが身に着いたのだろう。初っ端から手痛い歓迎を受けた。
入画審査を終えて、手荷物受取場を抜けるとそこは画内だ。正確には画外に作られた「出島」のようなものだ。通路の壁面に並ぶ高級衣料ブランドや化粧品の広告パネル、メタンハイドレート関連やIT関連、セキュリティー関連など今をときめく企業の広告パネルを横目に京急線の駅に向かう。歩いているのはビジネススーツ姿の男女が7割ほど、ラフな格好をしている者も3割ほどいるが、着ているものがどれも高級そうだ。急ぎ足の者はいない。エスカレータも二人並んで静かに立っている。歩いて降りようとする者はいない。
お土産物を売る店、コンビニ、ドラッグストア、カフェなどが並んだ明るく広い通路を抜けると、そこに京急線「画内駅」の改札口があった。改札口で国民カードをタッチし、しばらく歩いて階段を下りホームに着いた。
2.画内駅
羽田空港の駅は画がほぼ完成した2年前に、画内駅と画外駅に分割された。分割の目的は、空港発の画内行き直通電車を走らせるためだ。つまり、画内駅から電車に乗れば画外の駅を全て通過してそのまま画内に入ることができる。新しくできた画内駅を使うのは勿論今日が初めてだった。
電車は停車していなかった。駅が二つに分かれたためだろう、画内駅は以前と比べて格段に乗客が少なくなった。空港の発着便が少なくなる時間帯なのでよけいに静かな佇まいだ。ホームは清掃が行き届き、中ほどには大きな鉢植えに囲まれたベンチが数か所配置されていた。ベンチにはキャリーバッグを前に置いた老夫婦一組だけが座っていた。
線路の向こうの壁面には高級衣料ブランドと高級車の広告パネルに挟まれて真っ青な海と空を背景にしたリゾートホテルのパネルが輝いていた。
羽田空港にはモノレール、京急の2社に加え2023年からJRも乗り入れていた。画の境界がほぼ全域で完成した2年前に3社は相次いで国内線ターミナル、国際線ターミナルにそれぞれ画内駅と画外駅を設けた。だから羽田空港には駅は全部で12もある。
画内行きの電車は、国内線ターミナルも国際線ターミナルも画内駅にしか停まらない。また、空港を出ると画内まではノンストップだ。
一方の画外を走る電車は、国内線も国際線も画外駅しか停まらない。その後は画外の区間だけを走る。画内に入ることはない。