画-かく-
落ち着く間もなく新橋に到着した。ホームから階段を昇り、改札を出る。新橋駅も随分明るく綺麗になった。オリンピックの後しばらくは地下通路にホームレスがたむろしていたが、景気の回復に伴い徐々に姿を消していき、画ができてからは画内にいたホームレスは全て画外のシェルターに移されたらしい。
コンビニ、衣料や雑貨を扱う小さなブティック、ドラッグストアの並ぶ地下通路を抜け、階段を上り、JR新橋駅の駅前広場に出た。
2.議連
2010年代後半、日本経済は失速し、多くの国民は日々の暮らしを維持することで精一杯。政治に対する不平、不満が日本中に充満していた。
活政治家たちはここに来てようやく事態の深刻さに気付いた。このままでは自分たちの身分が危ない。早急に定数削減と選挙区割りの見直しをしなければならない。国民の目に見える形で。とは言え、なるべく自分たちの首だけはつながるように。
そして、早々に与野党合同の協議機関の設置を決めた。しかし、問題はこれからだ。自分たちの首がつながる、自分たちだけは首がつながるような協議機関にしなければ意味がない。まずは協議機関の構成をどうするか?政党ごとの人数の配分をどうするか?協議機関が出した結論をどの様に具体化していくのか?入口からもめ始めた。また始まった。学ばない人たちなのだ。
2019年、「納税者党」が旗揚げされた。東京の都心部や山の手に住む富裕層が中心になって立ち上げた政党だ。国のやることは富裕層から税金を吸い上げることと、その税金を役に立たない人気取り政策にばら撒くだけだ。
苦労して納めた自分たちの税金だ。意味のないことに使わずに有効に使ってもらいたい。この国の経済の発展のために、この国の安全を確保するために、国民の生活を快適にするために。富裕層が次々と国外に逃避するのも元はと言えば税金が正しく使われないためだ。
庶民も庶民だ。政府や国会は何もしない、何もしてくれないと文句ばかり言っているが、ろくに税金も納めないでよく言えたものだ。ただ飯を食っているのは政治家だけじゃない庶民も同じだ。
国の政策とは突き詰めれば税金の使い途だ。大事な税金を何にどれだけ使うかを決めることだ。だから、国会は納税者の声を第一に聴くべきなのだ。税金を納めていない人たちは政策に対して意見を言う権利などないのだ。株を持っているから株主総会に参加できるのだ。株を持たない人たちにはその権利は与えられないのだ。納税者だけに選挙権、被選挙権を与えるべきだ。
憲法や戦後長く続いた民主主義体制に真っ向から挑戦する荒唐無稽な主張を繰り広げる政党に対して、学者やマスコミは集中砲火を浴びせた。しかし、政府や国会の無為無策振りを嫌というほど見せつけられてきた国民の中に支持する声が広がっていった。そして、次の総選挙では議席を獲得するかもしれないとの憶測が出始めた。
この年の7月、参議院議員選挙が行われた。一票の格差は3年前に微調整されたが、すぐに3倍以上に拡がった。しかし、国民の反発は総選挙ほどではなかった。全体の投票率は過去最低の44%だった。20歳代以下は23%、30歳代は34%、40歳代は43%だった。国民は参議院に期待することを止めた。
そして、「参議院廃止国民運動」が起こる。参議院は一体何をしているところだろうか?衆議院で決まったことを追認しているだけではないか。これまで何度か衆議院で決まったことに反対したことはあった。しかし、結局は衆議院に押し切られるのが落ちだ。議員はといえばタレントとかスポーツ選手とかテレビによく出てくるニヤけた学者とかの集まりじゃないか?有名人が政治家面してえらそうにただ飯食ってるだけじゃないか?衆議院も大した仕事をしている訳ではないが、強いていえば衆議院だけあれば十分じゃないか。参議院はもう要らない。これまた憲法や戦後の民主主義体制に挑戦する国民運動だったが、生活苦にあえぎ、不公平感が募り、重税感に嫌気がさした国民の支持が広がっていった。
2020年、超党派の現職議員により「納税額比例選挙制度創設議員連盟」と「参議院廃止議員連盟」、いわゆる「納税議連」と「廃止議連」(産廃ならぬ参廃議連だと陰口をたたく者もいた)が相次いで発足した。日本国憲法のもとで選出された議員たちが日本国憲法に真っ向から挑戦しようというのだ。以前なら内閣総辞職か衆議院解散ものだ。いや、その程度では済まなかっただろう。国政は、いや国内が大混乱したはずだ。しかし、経済が疲弊、混乱する中で国民の政治に対する期待、関心は薄れ、信頼は地に落ちていた。
形だけとはいえこの国の骨格をなしてきた戦後民主主義体制が崩壊する危機に、本来なら声を大にして反対したであろう学者や文化人、マスコミ関係者たちも相次ぐ国政と経済の大混乱の中で感性が鈍り、反対の大合唱が巻き起こることはなかった。
納税議連はともかく廃止議連に名を連ねる参議院議員はいないだろうと誰もが思った。参議院を廃止するということは自らの身分を失うことなのだから。
ところが廃止議連のメンバーの三分の一が若手の参議院議員だった。何故か?それは参議院の廃止に取り組む方が得策と判断したからだ。参議院に対する風当たりは強くなる一方だ。そう遠くないうちに参議院は廃止を余儀なくされるだろう。このまま参議院に留まっていても展望は開けない。それなら参議院の廃止をいち早く宣言し、自ら身を切る改革派政治家として名を売った方が得だ。そう考えたのだ。
そして、参議院が廃止された後に衆議院に鞍替えするのだ。改革派の若手が老いぼれの現職衆議院議員を追い落とすのは簡単だ。同情票も少しはもらえるかもしれない。勿論、今は鞍替えの話は一切口に出さない。今は自ら身を切ることを決断した改革派政治家なのだから。
3.けやき
新橋駅前。猥雑でエネルギッシュで人間臭い、かつてサラリーマンの聖地と呼ばれた風景はそこには無かった。居酒屋、サラ金、風俗店、パチンコ屋など男達の欲望を満載した多くの雑居ビルはもうどこにも見当たらない。待ち合わせの定番だった蒸気機関車だけがぽつんと残されていたが、再開発によって機関車を取り巻く一帯は大きな広場に変わっていた。
広場には葉を落して寒そうなマロニエが格子状に整然と立っている。マロニエ周囲にはベンチが置かれている。広場を取り囲むように高層のオフィスビルやホテルが並んでいる。広場は乗り入れが禁止されているのか車は全く見えない。ビジネスマン、ビジネスウーマンたちが談笑しながら行き交っている。酔っ払って陽気に騒ぐ中年サラリーマン、ひざの抜けたジーンズを穿いた若者、作業服を着た中年男などかつての新橋の主役たちの姿はもうそこにはない。
広場を取り囲む真新しいオフィスビルやホテルは、その1階から3階までが歓楽街として統一的に整備されている。そこにカフェやレストラン、ビアホール、カラオケ店、和食や中華の店が入っている。その一角にはバーが連なるエリアがあり、辛うじてサラリーマンの聖地たる新橋の面影を残している。ただし、画ができてから、画内の風俗関係の取り締まりが徹底して行われたため、それらしき店は全く見掛けなくなったという。