画-かく-
「それまで鉄やコンクリートと比べて強度は劣るが暖か味があるとか肌触りが優しいとか健康に良いとか御託を並べてきたが、自分は木のことを何も分かっちゃいなかったことを思い知らされた。これまでやってきたことは殆ど意味なかったんじゃないかとな」
「そこまで言うかね」
「その時思ったんだ。木の心というか、木の本当の魅力を伝えたいとね。それこそが自分のやるべき使命だと確信した。ただ、その時既に40代の半ばだった。やれる時間はそれほど残っちゃいない。とまあそんな具合で今の会社を作ったという訳だ」
「なるほど、そんなことがあったのか。知らなかった。君も結構深いんだな」
「お前もよくそんな失礼なことを言うな」
「いや失礼。でも君の話は僕の琴線にも触れたよ、参ったな。僕はいまだに木を解っちゃいない田舎の材木屋のままだ。心中穏やかじゃないよ。でも木は好きだし、並の木は並の木なりに愛着はある」
「いやいや君の会社のような庶民相手の商売をしているところがあるから、うちの商売が引き立つというもんだ。感謝してるよ」
「お前はもっと失礼だ。仕返しか?それはそうとエントランスのマツの一枚板は見事だな。僕でも判る」
「あれか?あれは霧島アカマツだ。皇居に使われているのとグレードは変わらない。しかもあれだけ大きい1枚板はもう出てこないかもしれない。絶品だよ、高かった。うちは超が付くかそれに近い一級品しか扱わない。でも価格の問題じゃない品質だ。いや品質というと少し違うな。その木が持っている力、品格、歴史が混然一体とした何かだ。高くなるのは当然だ。木のことなんて何も知らなくても感性の鋭い人間、本物を見る目のある人間なら分かる。いい音楽を聴くようにな」
「なるほど分かるような気がする。同じ木でも良い木目は音楽を連想させるな。シンフォニーもあればソナタもあるし、尺八の音もあればジャズのバラッドもある。いつの間にか木に慣れすぎて木を見ていなかったなあ。いい勉強になったよ」
「とは言っても、木の良さを分かってくれるお客様ばかりじゃない。たまに、皇居で使われているものと同じ産地の一級品のスギを使いたいなんて言うお客がいる。そんな人間にはそこら辺りの見栄えのいいスギを使っても分かりゃしない。そういった類の人間はニューカマーが多いな。もっとも、彼らも大事なお客様には変わりない。会社の信用に関わるからご要望にはしっかり応えるし、手抜きは一切しないけどな」
6.日陰
日の当たる場所があれば日陰がある。日差しが強ければ強いほど日陰は暗い。
メタン景気に沸く2025年、その頃稼働していた原発は3基だけだ。福島の事故のあと全ての原発が停止したが、安全審査に時間がかり再稼働が遅れた。
原発反対派は再稼働の遅れを歓迎したが、原発容認派でさえ長引く休止に慣れて期待度は徐々に低下していった。休止中の原発は、休止中にも関わらず軽微な放射能漏れ事故をしばしば起こした。廃炉を決めた原発の解体撤去作業は必要な予算が確保できず一向に進まなかった。原発に対する信頼はすでに失墜していた。
そこに出現したのが自前のクリーンエネルギー・メタンハイドレートだった。国民の関心は当然メタンハイドレートに向く。かつてこの国に原発があったことなどとうに忘れてしまったかのように。
長年原発に頼り切ってきた市町村は焦った。役場の収入は国からの交付金や補助金か電力会社が支払う法人事業税以外に目ぼしいものが無いのだから。原発が地場産業化していたから農業や水産業など見向きもしてこなかった。地元の人たちも、地域の平均をはるかに上回る給料がもらえる原発に勤めることが新卒者の目標になっていたし、原発に関連する事業に食い込むことこそが地元での成功者の証明だったからだ。
原発が立地する自治体の首長は起死回生を賭けて、こんな時にしか役に立たない地元選出の国会議員に泣き付き、中央政府や電力会社に陳情した。裏金も用意した。タダ同然の価格で原発近辺の土地を用意するから何とかメタン火力発電所を建設してほしいと。
しかし、原発と比べ周辺地域に危険が及ぶ可能性が限りなく小さいメタン火力発電所は全国から引く手あまただ。誘致合戦は熾烈で、誘致を目論む自治体からは電力会社にとって有利な条件が次々と飛び出してくる。わざわざ放射能漏れのリスクを抱えるところに虎の子を建設しようなどと考える方がどうかしている。
飯の食えない原発立地市町村からは潮が引くように人が出ていく。かつて電力会社の社員や原発に勤める労働者たちや彼らの家族が行き交い賑わった商店街に人影はない。野良犬さえ歩かない。町にいるのはどこにも行くあてのない年金生活者だけだ。彼らは家に引きこもり定期的に届けられる粗末な食材をあてにただ生き続けている。
廃墟と化しつつある街でうごめく者たちがいる。金目になりそうなものを探し回る窃盗団だ。最初は物を盗むだけだったが、いつの間にか住み心地のいい空き家を見つけ住み着いた。特に放射能漏れの噂が絶えない地区の空き家は足取りをたどられたくない者にとって格好の隠れ家になった。原発周辺集落はまともな人間が立ち入ることのできない無法地帯になった。
メタン景気は、原発のような一部の時代遅れの産業を除き、多くの企業の業績を急回復させた。しかし、その果実はすべての国民に届いた訳ではない。むしろ果実を得た者は以前にも増して少なくなった。
長く暗いトンネルを進む間に、工場では単純労働は勿論、ある程度経験を必要とする作業までもロボットが取って代わるようになっていた。人手に頼るサービス業でもIT化が進み、ロボットが応接する店舗も珍しくなくなった。生身の人間のサービスが貴重なものになっていた。
農林水産業でも機械化やIT化が革新的に進んだ。年間3000万円を売り上げる農家や年間売上高10億円の農業生産法人が珍しくなくなった。
親や祖父母の資金をもとに十分な教育を受けスキルを身に着けた人たち、豊富な資産を引き継いだ人たち、歌舞音曲や芸術の才気にあふれた人たちには常に日の当たる場所が用意された。業績の良い企業は優れたスキルを持った人材を必要とし、豊富な資産を手にした者は欲をかくことさえしなけば資産が資産を生み続けた。歌舞音曲に秀でた者たちは富裕層に愛され、富裕層は彼らに富を分け与えた。サービス業や農林水産業でも成功できるのはスキルのある人間、才気のある人間だけだ。
一方で、特別なスキルも資産も才気も持たない人たちに日が当たることはない。スキルを得る道を閉ざされた者たち、資産から見放された者たち、才気を持たず生まれ落ちた者たちに日が当たることは一生ないのだ。
日の当たらない人たちには、誰にでもできる仕事、代わりがいくらでもいる仕事、誰もやりたがらない仕事、人には言えない仕事しか回ってこない。それ故に足元を見られてわずかな報酬しか与えられない。しかし文句は言えない。言えば即刻お払い箱だ。これまでは哀れな外国人労働者がやってきた仕事だ。たどたどしい日本語を使い不法に就労してきた発展途上国の人たちがやってきた仕事だ。