画-かく-
まあ、こんなやり方で商売ができるのはこれまでの実績がものを言うんだ。俺も商品には一切妥協しないし、絶対の自信を持ったものしか提供しない。それに宣伝は一切しない。上客の紹介しか仕事は取らない。それでも十分食っていける。殿様商売だ。いや、へたにお客を取りにいかないから上手くいくんだろうけどな」
「なるほど、少し解ってきた。ところでKPWとはしゃれた名前をつけたもんだな」
「KPWのKは神村でPはプレシャス、高貴だ。Wは勿論ウッドだ。神村銘木店じゃ年寄りの好事家くらいしか相手にしてもらえないだろう。勿論、うちは、銘木を売っている訳じゃない。銘木が創りだす空間を提供してるんだ。至宝の木と対話する、至宝の木に癒される、至宝の木に励まされる空間を創造している。プレシャスウッドスペースだよ。だからベンチャーの中堅や業績好調の大手の中間管理職あたりからの引き合いが多い。オフィスの内装を手掛けることも多い。この商売は目利きとセンスがなくちゃ終わりだが、ハッタリも大事だからな」
「なるほど。しかし、出世街道の先頭を走っていた君があっさりと役所を辞めて社長になるとは思いもよらなかったよ。何故だ」
4.春
2025年、日本経済に本格的な春が訪れた。
景気が良いのはメタンハイドレート関連の企業だけでは無い。エネルギーひっ迫の影響をもろに受けていた自動車や電機、やや遅れて情報通信にもメタンハイドレートの果実が行きわたり始めた。メタン様々だ。生まれた子供にメタンと名付けた親もいた。エネルギー関連をはじめとする大手企業とその周辺の中堅企業の業績は急回復し、そこに勤める正社員にはベアや高額なボーナスが振舞われた。
株価が上昇した。税収が増加し国の借金である長期債務も徐々に減り始めた。それを反映して国債の金利も下がり始めた。物価上昇も3〜4%と若干高めだが落ち着いてきた。株価の上昇がさらなる上昇を呼ぶ。この世の春だ。
一方で宿題は残ったままだ。減り始めたとはいえ借金は1500兆円を上回っている。政府としてはメタン景気に沸くこの時に少しでも借金を減らしたい。そのためには増税だ。国の信用を回復するためには避けて通れない道だ。
まずは法人税だ。ただ国策として段階的に引き下げてきた手前、再び上げる訳にはいかない。そこで国家再生期間として5年間に限って現行の税率に3%上乗せすることとした。
次は消費税。これは恒久措置として3%引き上げた。但し、庶民層に配慮して食料品の多くは増税を見送った。
残るは所得税だが、これは難しい。貧困層に対して増税は言い出しにくい。もし増税を持ち出せば猛反対は必至だ。政治は大混乱する。しかも大混乱の揚句に徴収できる額は知れたものだ。
中間層だって同じだ。もっとも、かつて労働者の中核を占めた中間層の人たちは大半が貧困層に落ち、一部が運よく富裕層予備軍になった。このため中間層と言える層はほとんどいなくなっていた。結局頼れるのは富裕層とその予備軍だけだ。幸いなことに景気は絶好調で、彼らの収入は増えるばかりだった。痛みは小さいと読んだ。
政府は所得税の税率を3%アップさせた。しかし富裕層の反発を恐れ、すべての階層に均等に3%上乗せすることにした。国家再生のためには国民一丸となって汗をかこうという建前だ。だから表面上は中間層も貧困層も富裕層も同率にした。ただ、実際は中間層、貧困層には実害が及ばないように控除や交付金で工夫した。そして富裕層からしっかり徴税するようにした。
しかし、富裕層は既にオリンピック前に税率で狙い撃ちされたことを当然覚えている。しかも、消費税にしても国民が均等に負担しているように見えるが、食料品の増税を見送ったため、食料品以外の支出のウエイトが大きい富裕層にとって負担がより重いものになっていた。
中央政府は国家財政が厳しいと言うが、その原因は政権与党や中央政府の失政ではないか。今頃になって、その付けを国民に回すのは筋違いだ。富裕層にしてみれば、今ある富は自分か自分たちの親かその前の世代が必死に働いて築いてきたものだ。誰かに貰ったものではない。当然政府からも。
たまたま今、多めの資産を持っているということだけで、何故国の借金の肩代わりをしなければならないのだ。富裕層の政治に対する不満、不信が増幅し、国外逃避しか道がないという雰囲気が醸成されていった。
ただ、彼らを押しとどめたのは治安の回復だ。メタン景気のお蔭で犯罪が減少し始めた。そして、富裕層を狙った犯罪やイタズラも減少してきた。富裕層の人たちの緊張が少し和らいだ。できれば日本を離れたくはない。安全が保障され、自分たちの権利が守られるなら。
5.木の心
煙草に火を点け、煙を深く吸い込み、吐き出してから神村が語り始めた。
「本当に木が好きになったからというか、木の心が判ったからだろう。多分」」
「木の心?哲学的だな」
「お前も知っての通り俺は役所に入ってから何故か木材関係の仕事ばかりやらされた。鉄やアルミやセメントに負けないように木材の売込みを必死になってやってきた。品質で工業製品に負けないように。いや品質だけじゃない、生産コストも流通コストも追いつけ追い越せをモットーにやってきた。我ながらよく頑張った。挙句の果てに木材の利用を義務付ける法律まで作った。法律で無理やり木を使わせるなんて馬鹿げているよな。今になっちゃ赤面の至りだ。まあ、それだけ頑張ったということだ」
「確かに暴走気味だったな。でも、よくやってた」
「で、ある時出張で北陸のある町に行ったんだ。出張の合間、その町の木材商社の社長の自宅に招かれた。社長自慢の家だ。柱と鴨居、敷居は木曽ヒノキ、梁は地マツ、天井は秋田スギの柾目、床柱は黒檀だ。木材商社だけあって良い木を選りすぐって使ってね、なかなかの出来栄えだった。でも退屈なんだよな。仕事がら見慣れていることもあるしな」
「確かにそうかもしれん」
「社長は俺が退屈しているのが分かったんだろう。突然、先代が作った離れを見せましょうと言って俺を奥へ案内してくれた。社長は、自分は養子だが仕事はしっかりやって先代のときに傾きかけた会社を立て直した。そして地元でも一目置かれる中堅企業に育て上げた。そして集大成に家を建てた。良材を惜しみなく使って。しかし、自分は事業では成功したが肝心の木を見る目に関しては先代の足元にも及ばなかった。それが結局作った家に表れている。とにかくご覧になってくださいと案内してくれた」
「うんうん」
「離れは数寄屋造りの茶室を思わせるものだった。壁は土壁だ。柱はスギの面皮柱、桁は皮の付いたマツ、天井には竹の垂木にナタで剥いだようなスギの板が乗せられている。質素なんてもんじゃない世捨て人のあばら家だ。しかし違う。超越してるんだ。木が語りかけてくる。木が生きてきた年月が空間を満たしている。でも圧迫感なんてない。むしろ安らかな気配だ。木に寄り添われている感じだ。力むな。何も考えるな。自分のままでいい。そんな感じだった」
「へえ。そりゃすごい」