WonderLand(下)
何が悪い!何が悪い!ウサギは何度もそう云って、リリーさんのお腹を、背中を、腕を、顔を、思い切り蹴り上げた。リリーさんの腕からするりと抜け出し、ウサギはリリーさんに攻撃し続けた。リリーさんが蹴られ、殴られる度に、まるで人形のようにリリーさんの身体はどすんどすんと音を立てて、宙に浮いた。リリーさんがあたしの方へ転がってきて、あたしは咄嗟に一歩退いた。そのときに、思わず鞄を落とした。
鞄の中身が、畳の上に散らばる。あの五千円札の束も封筒からするりと抜け落ちて、床に五千円札が散乱した。
一瞬の隙だった。リリーさんは目ざとくそれを見つけた。そして、引っ手繰るようにしてそれを掴むと、一瞬立ち止まったウサギに突進した。
リリーさんとウサギは、抱きつくような形で床に転がった。
うっ、とウサギの苦しそうな唸り声が、薄く桃色の唇から漏れる。ウサギの顔から、一瞬笑顔が消えた。でも一瞬のことで、すぐにあの不気味な笑顔に戻った。口角だけを釣り上げて、ウサギは笑った。
そして、そのまま動かなくなった。口からは、一筋の赤黒い液体が流れ落ちた。
目から、透明の液体が零れ落ちた。
床に倒れているウサギは、あの人形ではなかった。美しい、一人の女性だった。
+ +
「タケルはあたしの息子だった。ごく普通のわんぱくな男の子だったんだ。あの日、あたしのセックスを見るまでは、普通の男の子だった」
ウサギの血にまみれた手を見つめながら、リリーさんは云った。
「家庭が崩壊して、タケルは妻に引き取られた。すべてを失ったあたしは、この店を始めたんだ。変な話だろう、普通なら二度とそんな失敗はしないと、誓うはずなのに。でもね、もうこういう生き方しかできなかったんだ。
タケルがアタシの目の前に再び姿を見せたのは二年前、もう十年経ってんだ。どこで噂を聞いてアタシがこの店をやっていることを知ったのかは知らないが、訪ねてきたタケルはかつてのタケルじゃなかった。性転換手術を受けていたんだ。整形して、顔もまったく違っていたよ」
殴られた痛みで、何度も鈍い声を上げながら、途切れ途切れにリリーさんは言葉を紡いだ。
作品名:WonderLand(下) 作家名:紅月一花