からっ風と、繭の郷の子守唄 11話~15話
「戻らない主婦を心配した家族が、手分けしてあたりを捜索した。
しかし結局見つからず、警察へ通報することになった。
10日間で延べ100人あまりで、付近の一帯を捜索したがやはり見つからない。
赤城神社の周辺は、よく整備されていている。
危険な場所や、道に迷うような箇所は一切ない。
ゴールデンウィーク中だったため、人出もおおかった。
だが不審な人物や、それらしい物音を聞いた人もいなかった。
20件ほどの情報が群馬県警に寄せられたが、、発見に結びつくような
有力なものはなかったそうだ」
「ゴールデンウィーク中なら、たくさんの人が居たはずです。
誰も見ていないなんて不思議ですねぇ。
ほんとうに誰も、主婦の姿を見ていないのでしょうか?」
「失踪から7か月ほど経ってから、当日撮影されたビデオが公開された。
その日、偶然に撮影されたものが、テレビ局へ提供された。
そこに、主婦らしい人物が映っていた。
赤い傘を差しだしている姿が、かすかにだが小さく写りこんでいた。
撮影された場所は、ここだ。
ここにはかつて、赤城神社の本宮が建っていた。
だが、傘を差しかけられていた人物は、名乗り出てこなかった」
「当事者が名乗り出たくないということかしら・・・
それとも本当に、神隠しなおかしらねぇ」
「失踪後。数回にわたり無言の電話が、自宅にかかってきている。
発信先が「大阪」と「米子」という確認はとれた。
家族はその後も、必死に主婦の行方を捜した。
だが10年が経ったいまでも、主婦は発見されていない。
10年前の大沼で突然発生した、現代版の神隠しということになるねぇ」
「科学で解明できない、空間や時間の歪みがあるという話は、
聞いたことがあります
タイムスリップなどもそのひとつというけど、へぇぇ、今でもあるんだ。
神隠しなどという、古風な、神がかった現象が・・・・」
かすかな水音を立てながら、大沼の湖面へ注ぎ込んでくる覚満淵からの流れを
悲しそうな顔で貞園が見つめる。
大沼と覚満淵は、もともと一つの地形を成していた。
立ち並ぶお土産屋とホテルによってすっかりと遮られているが、もともとは
ひとつの火口湖として存在していた。
人の手によって開発されるまで、手つかずの秘境として
長い歴史を刻んできた。
太古の面影を残しているのは、かろうじてつながっている一本の水路だけだ。
覚満淵を潤してきた冷たい水は、雪解けの水と一緒になり涸れることなく、
大沼へ向かって小さな流れを作りだす。
「貞園。神隠しの話は、すこしばかりショッキングだ。
だがここには、恋人たちのための、とっておきの神話もある。
それが大沼のヤドリギの伝説だ。
ヤドリギの下でキスをした恋人たちは、永遠に結ばれるという、
古い、いいつたえが有る」
「あら。そちらは、きわめて明るい話ですねぇ。
神隠しの話には胸が痛むけど、愛のヤドリギには、私の心もときめます!。
でもヤドリギって・・・・こんな山奥にもたくさん有るの?」
「赤城山には、ヤドリギがたくさんある。
標高1000mを越えている赤城山には、ミズナラの木がたくさん生える。
ミズナラは、冬になると葉を落とす。
葉を落とした枝の先に、鳥の巣のような形の緑のかたまりが有る。
緑の小枝のかたまり、それがヤドリギだ。
欧米ではヤドリギの不思議な生態から、神秘的な植物として、
いろいろな伝説が語り継がれれている。
西洋ではヤドリギの下で恋人たちがキスをすると、永遠に結ばれると言う
そんな言い伝えが有るそうだ。」
ヘルメットを脱いだ康平が、湖畔を囲む木々を指さす。
大沼の湖畔には、ミズナラやカシ、アカヤシオなどの落葉樹の巨木と、
樹齢を重ねた古い木々が立ち並んでいる。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 11話~15話 作家名:落合順平