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嘘と演技

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「またそんな事を言って。お父さんが聞いたら悲しむよ。さくらの事を思って箱根にまで来たのに。少しは気が休まるだろうと思って」
「そういう事が余計なの」
 彼女は抑揚の少ないおっとりとした口調で話していた。しかしその内容は過激だ。そう思った。
「みんな、よくなって、デイケア卒業して、私だけがいつまでたっても良くならない。それは神様が私に死ねって言ってるの」
“精神疾患を持った子か”
「そんな神様が死ねだなんて。あなたは心の病、心の風邪をひいているだけなの。ゆっくり治していきましょ」
「治らないわよ。ずっとこの先、私の若いうちは治らないわよ」
「二十歳前後で治らなくても、ゆっくり治していきましょ」
「お母さんは私の気持ちも、今の状況も何も分かってないのよ」
「私はあなたの事を一番よく見ています。母親として」
 その時、その女の子は含み笑いをした。と同時に東海大前駅に着き、部活を終えた大学生達が一気に乗り込み電車の中は賑わった。そのおかげで女の子と母親の会話がほとんど聞き取れない。
#お前のパス雑すぎ#
#取れるだろ、あれ位。島っち歩いてんだもん。ありえねえよな#
 (母親の声で、)
「クリスマスにはお父さんも、日本に帰ってきて一緒に過ごせるんでしょ」
 女の子は
「クリスマスなんて言わないで。身の毛もよだつ」
#おいまいばすけっとでまるごとバナナ100円だって#
#もっと早く教えろよ#
「抗うつ剤飲んでもちっともよくならないわよ。効くわけないでしょ」
(母親の声で)
「中西先生も………時間をかければ………」
「………そもそも違うのよ………私聞いたもん」
「………まだ十代なんだし………」
「……………適当な事言わないで…」
「……………せっかく箱根まで連れてきたのに………」
「………………………………」
「……………………………………」
「…………世界なんて滅びればいいのよ。政治家なんてもっとも下品な仕事だわ。まるでやくざよ」
「……………………………」
「…………………………………………」
 その時その女の子はふっと我に返った様な、また話し疲れて、風船がしぼんだかの様に静かに優しい顔になった。まるで聖母マリアの様なもともと持った美しい顔は母親の肩に寄りかかり、そして先ほどとは打って変わった落ち着いた調子で、
「お母さん、ごめんね。いろいろ言っちゃって。でも私お母さんの事一番頼りにしてるのよ。お母さんがいるから生きていける。何でも聴いてね。」
「うん。何でも聴くわよ」
 二人は目を合わせてそう言った。
 そして女の子は従順な子猫の様に、彼女の母の膝に頭を乗せ、寝転んだ。

「お母さん。本当ごめんね」
「うん。さくら、疲れたのよ、きっと」
「ありがとう」
「うん」
「お母さん」
「さくら」
「お母さん」
「さくら、ねえ、顔をよく見せて」
 その女の子は母鹿を見る小鹿の様に、コクッと母の顔を仰ぎ見た。
 母は女の子の髪をそっと撫でながら、
「可愛い。さくら。私の宝物」
「ふふ。お母さん。大好き」

母はしばらく優しい眼差しで娘を見ていた。

本当の温かい、優しく、中睦ましい、安らぎの様な沈黙だった。

愛がなければ生まれてこない空気だ。

―――そう私はその時彼女らから確かな愛を感じたのだ。確かに―――

そうした時、電車は藤沢駅に着き、私は東海道線に乗り換える為、その電車を降りた。その親子はまだ電車に乗っていた為、必然的に私はその親子の会話の続きを聴くことができなかった。しかし私はこう思った。
“親の感謝の気持ちが少しでもあるんだ。きっと良くなる。母親の言った通り、ゆっくり焦らず時間をかければ鬱なんて治る。さくらちゃんて言ったな。きっとよくなる」
私は日吉までの岐路をそんなことを考えながら、とぼとぼと歩いて行った。温泉に入ったのでゆっくりそのまま寝た。
明日は仕事だ。

作品名:嘘と演技 作家名:松橋健一