大坂暮らし日月抄
「奉行所からはなかなか人が出て来んかったんで、みんな手持無沙汰になって、敵もなく、どうしたもんかと思案してたら、やっとこさ姿見せたって」
「それでも、大塩様たちが鉄砲撃ったら、その音に馬がびっくりしていなないて、御奉行、ふたりとも落っこちたって。そそくさと番所に隠れてもうて、同心らも慌ててどっかに行ってしもうた」
「敵がおれへんから、戦いにもならん」
「やっとこさお城から鉄砲隊が出てきて、さすがは強かった」
「そらぁ、玉造口の鉄砲組の人らが、大塩様らに砲術を指南してたんやから、師匠にはかなわんやろ」
屋台の店主と女房が、交互に評している。
「そやけどな。幕府は屋台骨から腐っとるんちゃうか。みんな首、傾げとるで」
いつの間にか、客が入っていた。
「この前の話やろ。二百人ほどの人数が半日足らず働いた程度で、役人らのうろたえ様、見るも無残な姿やったそうや」
「よう焼けたなぁ。天満から船場、それに上町一帯や。風が、えろうきつかったで」
「焼け出されて、夜からの雨でずぶ濡れなって。ほんま、雪隠場の火事、雨降りの太鼓、焼け糞でドン鳴らん」
客の話に耳を傾けながら、晴之丞は九兵衛に語りかけた。
「で九兵衛は、住まいは、いかがした?」
「上福島村に、家内の親戚がありますんで、そっちに身を寄せとります。奉行所の救済で、町の再建が進んどりますよって、ま、直に戻れるでしょう。そのお陰で、日雇い仕事が増えましてな。わたくしどもも、その恩恵に預からしてもろうてます」
「大塩様、ご養子の格之助さんとふたり、爆死なさったそうや」
「らしいな」
「へぇ〜、いつのことですのん」
女房が客に聞いた。
「先月(三月)二十七日や。知らんのかいな。靱油懸町の、染物屋、なんちゅうたかいなぁ」
「美吉屋はん」
「そうそう、美吉屋五郎兵衛はんとこの離れ。そこに隠れてはったんやが、その家のかみさんが毎日、離れに食事運ぶん見てた女中が変に思うたんやな」
「なんとまぁ、密告しよったんかいな、あほなやっちゃ」
「火薬、持ってたらしい。役人に取り囲まれて、大塩様、格之助さん刺してから御自身も腹切って、火ぃ付けた。黒焦げになっとって、すぐには誰なんか、定かでなかったそうや」
みんな動きを止めて、耳を傾けていた。
女房が、はずむように言った。
「ほな、その御遺体は身代わりで、ひょっとして、生きてはるかもしれんのと、ちゃいますか」
「あほなこと、言いな」
店主がたしなめた。
「大塩様直筆の檄文なぁ、手習いの手本になっとるんやと」
別の客の声が聞こえた。
家財を失っても、その首謀者である大塩平八郎を非難する声は、どこからも聞こえてこなかった。むしろ、英雄として語られていることに、晴之丞は、時代の移ろいを感じずにはおられなかった。