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大坂暮らし日月抄

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 二月十九日は、先任の東組奉行跡部山城守が同道して、新しく着任した西組奉行堀伊賀守が、天満郷を巡見する日であった。
 堂島の米市場を皮切りに、天満の青物市場、天満天神、天満組惣会所を廻り、最後に与力町に入って、申の刻(午後四時)前後、朝岡助之丞宅で休息することになっていた。
 この時を狙って兵を挙げ、朝岡宅に大筒を撃ちこんで、両奉行と側近の姦吏を倒した後、市中に火を放って豪家富商を焼き、米銭を没収し、難民を救恤(きゅうじゅつ)する計画だった。
 
「両奉行を誅殺すれば、東西奉行所の機能は麻痺するであろう。僅かの兵力をもってしても、これを制圧することはさして難しくはあるまい。
 奉行所を押さえたあと城内を攻める。城代土井大炊頭以下、定番、大番、加番を加えて、兵力はおよそ千二、三百人である。長年の太平に馴れて鎧櫃に鍋釜を納めているなどと、囁かれている守兵である。
 これを制圧するには、七、八百の人数があれば足りよう。各地の一揆騒動をみても、かつての武士の剛健さは影をひそめている。百姓勢が、しばしば勝利をおさめているほどだ。
 先日の施与にあたって、天満に火の手が上がれば洗心洞に駆けつけよと申し渡したのは、このためである」


 しかし、裏切りがあった。
 二月十七日宵五ッ頃、同心平山助次郎が、東組奉行役宅を密かに訪れた。
 平山助次郎は、文政四年、大塩の門を叩いた古参の門弟である。高井山城守が東組奉行に赴任し、弛緩した士風の刷新のため、文武の奨励にのり出した時期から十五年間にわたって、洗心洞に学んでいる。
 だが、昨年正月、「町目付」を命じられ、組与力同心の勤方、市中の風聞などを隠密に探る役目について以来、洗心洞には自然に足が遠くなっていた。
 ある日、同輩の庄司義左衛門が訪ねて来て、
「新奉行による組替えが噂されており、また政務において依怙の沙汰多く、与力同心一同憤懣に耐えず、大塩先生とともに、新奉行を除くため同憂の士が血盟している。貴公も同志として身命をなげうたれるか、先生のお申し付けにより存念を承りたい」
と言われ、
「勿論、その覚悟である」
と答えた。
 一月以来、三度、洗心洞を訪ね、いよいよ挙兵が実際であることを確かめ、その場では同意の返答をし、本年正月、義左衛門が起誓文を持参した時は、一議なく連判した。
 しかし、いよいよ挙兵の日時、方略を申し渡されてみると、公儀に対する謀反の恐ろしさに煩悶し、矢も盾もたまらなくなって駆けつけた、という経過を語った。

「その方はこれから江戸に出て、矢部駿河守殿に事の次第を訴え出よ、私が書状を書こう」
 奉行は、平山助次郎を座敷に待たせて書院に入り、勘定奉行矢部駿河守への引付状を書いた。平山助次郎はそれを懐に、十八日明けやらぬうちに、小者を連れて江戸に向かった。


 また当日朝、吉見九郎右衛門の倅英太郎、河合郷左衛門の倅八十次郎が訴え出たことで、跡部山城守は、事態を重く受け止めることとなった。ふたりは洗心洞の寄宿生で、朝方まで村々に配布する檄文を摺っていたが、怖くなって抜け出し、家に戻り、父に相談したのである。
 それにより、当直だった小泉淵次郎は斬られ、瀬田済之助は命からがら逃げおおせ、洗心洞に駈け込んだ。
 奉行所が動く前にと決行を早めて、明ヶ五ッ(午前八時)としたのであった。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実