小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

大坂暮らし日月抄

INDEX|72ページ/82ページ|

次のページ前のページ
 

 器を空にし、口入屋のある方角を何気なく眺めていると、スタコラと転がるように駆けてくる姿があった。別れを告げた時のやつれた容姿が、夢だった気がする。
「おそなって、すんまへん」
 顔に手拭いを当てながら、背中にくくりつけていた風呂敷包みを膝の上に置いて、腰かけた。大事に扱っているのは、帳簿と銭箱が入っているらしい。少し思案してから、再び背中にくくりつけた。
「あれっ、先にやっといてくれはったらよろしかったのに。大将、こちらのお武家さんに、注いだって。あ、女将さん、おいしいのん、見つくろうたって。あては、いつものん、頼んまっさ」
「九兵衛、ゆるゆると腹を満たしておったのだ。大坂の味を噛みしめながら、な。だが、こうして一緒に飲むのは、初めてだな」
「何を・・・ああ、野菜の煮物ですかいな。もっと美味いもん、ありますのに。鰆、どないです? 浅蜊も、あったらお出しして。今日は、わたくしがご馳走しますよって。そう、初めてですし」
「そんなに食べ物が、手に入るようになったのか?」
「時期的なもんがありますからね。山のもんも海のもんも、流通するようになってきて。大塩様のお蔭で、豪商が隠し持ってた米やなんかが放出されましたしね。あいつら、できるだけ買い占めて、値を釣り上げとったんですな。いえね、うちのお得意でもあるんで、悪口言えません。ここだけの話で。それで、庶民にも、少しは余裕ができたんですよ、大塩様のお蔭です」
 今日聞く、何度めの「大塩様のお陰」だろうか。
「おまっとうさん、ウドと浅蜊を炊いてみたんですわ。お口に合いますかどうか」
「かたじけない。ところで九兵衛、商売繁盛、だな。大坂に来るまで、随分案じておったのだが」
「はい、お陰さまで。どこもかしこも焼けてしもうて、新しいのん建てるんに、大忙し。職人が引っ張りだこ。うちもね、焼けてしもうたんですけど、顧客名簿をいち早く持ち出しましたんで、このように、すぐに商売が再開できました」
「その、大塩、とゆうのは、元与力で洗心洞の中斎殿の事だと思うが」
「左様にござります」
 晴之丞は、大塩が率いた内乱の詳しい状況を、九兵衛に問うた。


「突然大きな音が轟いて吃驚して外に飛び出しますと、天満の方角、与力様のお屋敷がある辺に、もうもうと立ち上がる黒い煙とともに、周りを舐めつくそうとする、大きな舌のような火が見えました。
 明ヶ五ッ(午前八時)過ぎのことです。
 何が起こったのかは分かりませんが、わたくしは、例の施行札を知っておりましたさかい、いよいよか、と思いましたね。
 様子を見に行ってた、近所に住んでる若いもんが、『えらいこっちゃ』言いもって走ってきたんで、状況を聞きました。
 大塩様屋敷の向かいの、やはり与力でいらっしゃる朝岡助之丞様宅に大筒を撃ちこみ、ご自身の住まいと洗心洞にも火を付けられた。大塩様の決心のほどが、窺われます」
 九兵衛は、
「ほとんどが、人づてに聞いた話ですけどね」
と前置きをして、順を追って話してくれた。
 概略、次のとおりである。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実