大坂暮らし日月抄
その時、気配は、まったく感じなかった。おそらく、水の流れる音に消されていたのだ。
それと、晴之丞の顔を一瞬脳裏に浮かべた、ということもあろうか。気の残、を忘れ去ってしまったのは、基本の基を軽んじたことになる。
滝つぼから上がろうとした、人の影を確認しなかった不手際を、悔いた。空蝉(うつせみ)の術に、嵌まってしまったのだ。
背中に一瞬、ひやりとした、冷たさを感じた。振り向くと、上半身裸のリュウが、血が付いた刀を手にして、立っている。
――負けた。
振り杖が、手から離れた。
背中に、重い物がのしかかってくる感覚がしてきた。かろうじて、足を踏ん張った。
再び、吹き矢を手にしようとしたが、その前にリュウが近寄って、茜の着物の前をはだけさせた。肌との間に手を差し入れて晒を掴むと、背中で断ち切られた晒を、一気に引き抜いた。
激痛が奔り、歯を食いしばった。
「な ぜ、突 か なん だ」
「ワシの、負けだ。ワシには、精神の修養がもっと必要だということを、おヌシから教わった。これは、貰ってゆく。おヌシを斃したという、証にな」
リュウは、赤く染まった晒を手にしたまま、しばらくの間、茜の乳房を凝視した。
茜は、膝をつき、くずおれた。
「フンッ、生きながらえることができれば、あとは、好きにせいっ。二度と会わぬ・・・さらばっ」
――突き殺しもせず、切りつける瞬間、手首を引いたに違いない・・・ふん、甘い奴。
リュウの雄叫びが届いた。
「あかねぇ〜っ、ワシはぁ、おぬしがぁ、好きだぁぁ〜っ」