大坂暮らし日月抄
獣が、草を踏む音がした。この臭気は狼か、猪か。見慣れない人間、茜の様子を伺っているに違いない。
ハッと気づいて、勢いよく立ち上がると同時に、上にある枝をつかんだ。血の独特の臭いが、獣の臭気に混じっているのを、捉えたのだ。
まだ雨水を留めていた枝葉が、一斉に水を振り落とし、ザザーッと音を立てた。
ドサッという音と共に、枝にぶら下がった茜のすぐそばを、走り過ぎた影。その前に、茜は足を振り上げていた。影は向きを変え、見上げた瞬間には、近くの木の、太い枝の上に立っている。枝葉が、その輪郭を隠しているが、漂っている男の汗の臭いは、確かに、リュウだ。
木々の枝は、絡み合うほどに、入り乱れている。
突然、枝葉の間から跳び出し、さらに上の枝を掴んだ瞬間のリュウに、茜は立ち上がって、手裏剣を投げた。
リュウは、勢いに乗って空中に飛び出し、身をさらけ出した茜に向かって、武器を放った。
腰を落とした茜は、左手に仕込んだ棒剣でそれを跳ね返し、跳ぶようにして、枝から枝へと移動した。運を、天に任せるしかない。
枝を掴み損ねると、地を蹴った。頭に入っている、獣道を走った。
――滝の上に出よう。
今のリュウの動きから、森の中では不利だと、判断したのである。通り道にある隠した武器は、素早く回収した。
目の前に、音もなくリュウが、立ちはだかった。姿は見えないが、臭いで分かる。
手裏剣が、飛んで来た。
数回横転し、すぐに起きて、しゃがんだまま薬玉を、顔に投げつけた。
棒剣を仕込んでいる左手首を、顔の前に構えて避けたらしいが、卵の殻と紙で作ったそれは、棒剣にはじかれて、砕け散ったに違いない。蛾の毒毛を、顔面に受けたはずである。