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大坂暮らし日月抄

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 晴之丞が伊勢地を去ってから、三日目の朝。
 毒蛾の幼虫を集めて戻って来ると、茜の住まいとする小屋の戸に、一枚の紙が、手裏剣でとめてあった。リュウの手裏剣と、判断した。それを引き抜く前に、周辺の気配を伺った。
 いつもと変わりなく、鳥たちが、高い声で囀り合っているだけである。木を打つ音がするのは、赤啄木鳥(あかげら)だ。念のために、木に登って遠くまで見渡したが、不自然な草の揺らぎは見られない。
 茜が小屋を離れて、すぐに来たらしい。いや、出ていくのを待っていたに違いない。小屋の中に入っていじった様子はなかった。完成した薬は、効果を保持させるために、土に埋めて保管している。武器類に、細工を施された跡もなかった。
 それらを確認した後、紙片を手にしたまま、しばらく突っ立っていた。
 いよいよ、この日が来たのである。
 決闘は、朔の日。あと、十日。
 かすれたような文字で、《ああ懐かし、赤目滝》とある。
 赤目滝。ここより戌の方角、およそ七里。繰り返し現れる勾配はきついが、半日あれば、十分である。
 
 《ああ懐かし》の言葉に、つい頬をゆるめた。リュウに、あのリュウにも、このような人間らしい表現を使うことができるのか。
 赤目滝は、滝川に沿って切り立った岩肌が連なり、いくつもの滝を形作っている、その総称である。
 実践試合に負けたリュウが、茜の技を盗むためと言い募って、共に、鍛錬に明け暮れた場所であった。
 当時のリュウは、体格がまだ茜に及ばず、体力は、茜の方が優れていた。だが、あの日出会ったリュウは、闇目であっても、大きく感じられた。おそらく、体力は随分と向上し、今の茜よりも、数段優っているであろう。
 それに対して、如何に闘っていくか。
 忍びには、術がある。それを、優位に利して諮れば、勝てる。相手の隙を、如何に先手を取って突くか。長期戦になれば、女の身には不利となる。そこで、今まで作りおいた薬が、役立つのである。
 
 茜は、今朝集めてきた毒蛾の幼虫を慎重に取り扱い、すりつぶす作業に没頭した。その後、幻覚を生じさせる薬や神経を麻痺させる薬などを、素早く取り扱えるように、小分けにした。
 極めつきは、鳥兜。これを吹き矢に塗り込んでおき、息の根を止める。接近戦は避け、必ず、常に、間合いを諮っておくこと、だ。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実