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大坂暮らし日月抄

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「わたくし、お祖母様の書状を携えて、真っ直ぐに、大坂の蔵屋敷にいらっしゃる平野様を、訪ねて参ったのでございます」
「お祖母様、何か言っておられたろうか」
 小雪は口に袖を当てて、笑いを堪えているようである。
「晴之丞は、祖父(じじ)そっくりじゃな、と」
 祖母様そっくりに、復唱した。


 書き置き残して、藩にも無断で出て行ったことを梅から告げられた小雪は、直ちに祖母様の部屋を訪れて詫びを入れた。
 脱藩は家名断絶、闕所(財産没収)、捕らえられると死罪となることもある。
 小雪から事の次第を聞いた祖母様は、じっと、小雪に視線を注いでいた。小雪はこの家に存在する理由がなくなり、詫びと共に礼を述べて辞去するつもりであった。
「そなたの真の目的は、なんぞいな」
 えっ! 細められた祖母様の視線を避けるように、床軸に眼をやった。雀が落ち穂をついばんでいる姿が描かれている。
 
「晴之丞は騙せちょっても、私(わ)は、無理じゃけん。そち、朝日重邦によう似ちょる。目元、口元なんぞ、和んでおわっちょった時のご様子に」
 小雪の反応を確かめるかのように、しばらく沈黙した。
 小雪の端正な、無表情の顔は、床の間に向けられたままである。
「私が連れ添ったお方、栗尾晴右衛門も、そげでごじゃった。朝日丹波様の御命令でなぁ。藩主様・・・治郷様のお命を奪ってごせ、じゃと。せっかく立ち直ろうとしちょる藩財政じゃちゅうに、治郷様のご散財が激しいなりよって、どもならんちょう、と」


 松江藩には明和4年(1767年)時点で、五十万両という借財があり、財政は破綻していた。匙を投げた先代の引退によって17歳にして藩主に祭り上げられた治郷は、家老の朝日丹波の力を頼りに改革に邁進した。
 利子の免除と元金のみの70年間分割返済を、大坂の金融商人に認めさせた。踏み倒しが横行していた時分であるから、商人はしぶしぶながら了承した――なお借金は、天保11年(1840年)に完済している。
 役所の統廃合と人員削減。
 すべての貸借関係を消滅させるという闕年の実施。
 大規模公共事業の実施や蝋燭の製造、薬用人参栽培、出雲牛生産、製紙業、鉄山経営の合理化といった産業振興に注力した。
 年貢を四公六民から七公三民という領民にとって厳しい政策、引き締めによって財政は立ち直りを見せ、寛政12年(1800年)頃には、八万両の蓄財を成すに至っている。
 ところが治郷は、茶人として不眛流を打ち立て、三百両から二千両もする茶器をいくつも購入し、再び財政を悪化させた。


「なぁんでそげな大事なこと、私が知ってると思わっしゃる? ふぉっほっ、晴右衛門殿は嘘がつけんお人だったげなぁ。ご自身でいろいろとお調べになっただしこな。藩主様の散財が始まったのは、お江戸の疑惑を避けるためでごじゃっただしこ。財政が潤ってきちょると難癖つけられよってに、無茶いわれて藩がお取り潰しになることさぁ恐れてごじゃったと。そげだして、あん人は、晴右衛門殿は・・・」
 言葉が途切れた。
 小雪が祖母様に視線を移すと、しきりに、目に懐紙をあてがっている姿があった。その懐紙で洟をかむと、目をしばたかせて続けた。
「晴右衛門殿は、腹さ、掻き切ってしまっちょうて・・・夕餉を召し上がらなんだ。如何されちょったのですか、と聞いたけん、訳を話しておくれちょった。そん時に、栗尾家は、大事の折に暗殺を受け負う、秘密の裏の仕事がある、て。なして、私に話してくれちょったか・・・こげな仕事は、もう引き継ぐもんでなか、孫、子にやらしちょうてはならん、きつうおっしゃられちょった」
 手に握った懐紙で再び涙をぬぐうと、姿勢を正して、言い継いだ。
「朝、書見の間で、事切れておじゃりました」

 小雪は、毅然とした祖母様の言に、胸打たれるものを感じた。
「おっしゃるように、朝日重邦は、父にございます。置屋の娘として育てられ、早くから忍びの群れに放たれたのでございます。こ度参りましたのも、晴之丞様の実行を見届けよ、と。でも、晴之丞様のお優しい心根に触れ、心が奪われてしまいましたのは事実でございます。蝮に咬まれたのは、故意ではありませぬ」
「重邦は、好色じゃった」
 遠くにやっていた視線をすぐに戻した。
「晴之丞が何やら思い悩んじょった様子は、分かっちょうでした。帰ってくる間なしに、ご政道のあれこれなんぞ、調べちょったことも。ほしたら、突然連れけぇった難儀しちょったけんちゅうおなごが、江戸家老によう似ちょる。ずうーっと、気ぃもんどったら、出奔げな。真っ正直なとこ、じじそっくりじゃ。腹切らんで、まぁんずえだねか。ほん、えだねか」

 小雪は、祖母様の「腹切らんで、えだねか」という言葉を思い返していた。その時、小雪も胸をなでおろしていた。「事を成し遂げ得ぬ時、消せ」という父の言葉も、同時に浮かび上がった。
 そうして、この実直な男を守りたい、という感情を押さえることができなくなっていることを思い知ったのである。
 
「はぁ、どこへ、行かれたのでしょう、か」
 はかなげにつぶやくと、「大坂」という答えが、きっぱりと突き返された。
「書き置きに、書いてござりましたか」
「あげの考えちょう事、単純じゃぁで、すぐ分かる。大坂の、松江藩蔵屋敷に、あげの幼馴染がおっちょってやで。親に叱られちょったら、すんぐそげん子のとこ、走って行っちょったで。平野晋作、を訪ねるがえだ」
 私を信用しておられるのか、ほんとに構わぬのか、という問いかけを顔に現した。
「ばばはせわない。寄り手はたぁんと居る、て伝えてごせ」
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実