大坂暮らし日月抄
家の近くのあぜ道を、考え事をしながら歩いていた。
国家老の塩見宅共殿は、江戸屋敷への送金を押しとどめて、藩の格式を貶めようとしている。これが、朝日重邦殿の言い分である。
だが、近在の百姓たちの見立ては、江戸が無理難題を押し付けて贅沢をし、窮乏を見て見ぬ振りをしている、というものであった。
晴之丞は、これはよく見極める必要ありとみて、ここ数日は、お城周辺の商家を見回り、近郊の百姓家を訪れたりしていた。
どの家も、つましい暮らしぶりであった。
藩には今もなお、上方の金融商人に、二十万両近い借財が残っていることも初めて知った。にもかかわらず、在府の折に聞かされていたのは、十万両を献納するということである。藩の、為になるからである。
暗殺剣と同時に伝授された父からの言葉。これは、名武将と伝わる真田昌之の影響を受けていた、創始者の信念が込められている。
「上役からの命令は絶対ではあるが、人の命にかかわることにおいては、その正否を確認し、自らの判断に基づいて行動すべし」
その意味を斟酌するために、田舎道を歩きまわっていたのである。
小雪と出会ったのは、その時のこと。
地べたに尻をついて、小刀を自分の足に当てがおうとしているのを見てとると、あわてて声を張り上げた。
「しばし待たれぃ」
走り寄って見ると、顔からは汗を滴らせて、足首が異様に赤くなっている。
「いかがなされた」
「はい。蝮に咬まれたようで」
「それはいかん」と言って跪くと、その小刀を取り上げて少しだけ切り開き、口を当てて吸い上げると吐き捨てた。数回繰り返した後、傷口に手拭いを当てて縛り、自分の家まで負ぶって帰ったのだ。
梅に頼んで床を取らせ、熱が完全に取れるまで養生させた。
「もう床上げしてえぇと、松庵せんせが言わっしゃいました」
五日後、梅の報告を聞いて初めて、小雪の部屋を訪れた。
身づくろいを済ませ端座している小雪には、品を感じた。
「こ度は御厄介をかけてしまい、誠に相済まぬ事でございました。すっかり元気を取り戻すことができましたのも、栗尾様のお力のお蔭でございます。お礼申し上げます」
「いやいや、良かった。江戸から参られたとのことですが、おひとりでこのような遠方まで、とは」
「連れがおりましたが、途中具合が悪くなりまして、わたくし、どうしても出雲の神さまに、本家本元の神様にお願い申したくて、ひとりであってもと、覚悟して参ったのでございます。参詣を済ませしばらく滞在中のこと、あの日は、田舎の澄んだ空気の中に身を置きたくなったのでございます」
小雪は発止として、晴之丞を見上げた。
「あなた様に助けられこうしたご縁を得ましたのも、大国主大神様のお力にございましょう。あなた様さえ良ければ、お仕えいたしたく存じ上げます」
どのようにして座敷を離れたのか、思い出すことも出来ないほどうろたえてしまったのだが、その事が、晴之丞に早々に意を決しさせたきっかけともなった。
書き置きを残して出奔したのである。