大坂暮らし日月抄
天保の大飢饉(2)
「おゆうちゃんなっ、ゆんべ天神橋のたもとぅ立っとるん、見たんやわ。間違いやあらへん。あれは確かに、おゆうちゃん」
お米の声である。
お米の亭主は、毎日夜が明けきらないうちに雑喉場の魚市場へ行き、仕入れた魚を売り歩いているのだが、お米は、いつも木戸まで見送りに行っている。木戸門は、まだ開いていない時刻である。規則によると、木戸番に開けてもらうことになっているが、実際は、木戸番に声をかけて、お米が門の閂の開け閉めをしている。少しだけ門を開いて亭主を送りだすと、大きな桶を手渡し、木戸番に声をかけて戻ってくるのが日課となっている。
お米自身は、表店で小商いをしている呉服屋で数刻手伝っているが、最近は三井越後屋に客を取られて「閑古鳥が鳴いとる」とか「商売あがったりやわぁ」などと、出会うたびに愚痴っては白い目を向けてくる。
本心から非難してくるわけではないと分かっていても、気づかいしない訳にもいかず、この頃では、極力顔を合わせないようにしている。
誰かが、口に指を立てたのであろう。
「しーっ」
その後の声はボソボソと聞こえるだけで、話の内容までは分からない。それでも想像はつく。おゆうは、隣の織江ばあさんの娘。早朝の今は、織江ばあさんはまだ家内にいるはずだが、薄い壁を通して、おゆうの気配は昨夕から感じられない。
「そろそろ、亭主を見つけないとな」
「晴さん、ええしとおったら、お引き合わせ、たのんますよって」
会話の糸口として、そんな話題を振ったりしていたら、織江ばあさんもおゆうも、前向きな言葉を返してきていた。
突然、物を投げつけたらしい大きな音が聞こえた。続いて、織江ばあさんの声。
「ヤメロォッ。うちのおゆうのウソ話っ。エエカゲンなことゆうとったら許さんッ。おゆうはなぁ、孝行もんなんや。親に心配かけんし、おいしいもん食べさそ、不自由させとうない、そういう子なんやァッァッぁぁ……」
織江ばあさんの大きな泣き声が小さくなって、戸を乱暴に閉める音が響いた。
外は静まり返った。
畳に鍋でも打ちつけているのだろうか、低い音が壁を通して伝わってきた。
1885年刊行の『天満水滸伝』から。
――天保丙申(てんぽうひのえさる)(天保七年のこと)の春より霖雨降り続き、三伏の盛夏の時でも麻着を着する日は稀にて、諸国一体の冷気なれば、稲育たず、麦・稗その他の雑穀も茂りやらず、種の出づべき頃、奥羽の間は六月十五日暴風雨あり、関東には七月十六日大風雨にて大木を抜き、人家を倒し、同じ八朔(旧暦の8月1日のこと)の暁ごろ、再び関東大風雨にて北風吹き起こり、西南東海道に吹き及ぶ。
また都近き地方には、近所より東へと大風雨起こり、古来未曾有の兇歳にて損害敢て数え難し。是がため諸国の交通止まり、人歩行せず、田畑悉く流蕩してついに飢饉の惨状を呈し、米価踊躍して三百文に及び、餓死するもの道路に充満し、目も当てられぬ有様なり。
※ 参考:1835年(天保六年)1月20日、中米ニカラグアのゴセグイナ火山が噴火した影響によるものと、現在では考えられている。