大坂暮らし日月抄
用心棒は交代で休息を取る。常時、3人以上で任務にあたっているようにしている。商うのは朝五ツ半(午前9時)から七ツ半(午後5時)まで。
「お主、女どもに人気があるのう」
飯椀と箸を掲げたまま飯をほおばっている口を止めて、同役の顔を見た。
店の奥の台所で午飯(ひるめし)をあてがわれ、体のいかつい男と板敷きに並んで胡坐をかき、膳を突ついているところだ。
丁稚たちは土間に立ったまま、香の物(沢庵)をかじりながら飯をかっ込むとすぐに表に戻り、別の丁稚が入れ替わりにやってきた。
男は、煮豆を一粒ずつ口に放り込みながら話しかけてくる。鍋底の軟らかくなりすぎた煮豆は店頭では商いづらいが、醤油がよく沁みていて美味い。
「身共など、声をかけられたこともないわ。避けられるばっかりでなぁ、アッハッハッハッハ。お主が羨ましいワィ」
口に食べ物を残したまま大きく笑うので、自分の膳を男から遠ざけた。
「ところで、剣術の流派はどこだ」
「心形刀流(しんぎょうとうりゅう)です」
「ふん」
男はそれきり黙り、膳の上の食べ物を綺麗に片づけ、最後は御代わりをして湯漬けでしめた。膳を横に滑らせると豆の皮が貼りついた歯を楊枝でせせりながら、晴之丞に体ごと向き直った。
「飛騨は高山藩の御納戸を預かっていたんだが、いや、親父のことだがな。藩主の金森様が改易となっては、止まることはかなわない。それより流浪の身よ。まだほんの子供だったな。その時に親父が拝領した感状。いくつかの藩で先祖書に添えて士官しようとしたらしいが、結局かなわず。いや、詳しくは知らぬがな。この地に居ついて、いつしか浪速人よ。寺の境内を借りて剣の道場を開いたが、門人は身共ひとり」
晴之丞は、炊いた蒟蒻をしっかりと咀嚼しながら聞き入っていた。
「今では、妻子を持つ身。いや、いろいろあったが、先祖書は大切に保管している。いつしかは、どこぞへ士官できるもんと思っとるんだが」
――先祖書、か。そうゆう物を持っておれば、仕官がかなっていたかもしれんのだな・・・。
「して、お主は?」
「ご母堂は如何されたのだ」
「住まいが定まらぬうちに、身罷った」
「・・・そうか。拙者、出雲松江藩出身、栗尾晴之丞である」
それ以上は口を開かなかった。小芋をかじり、黙々と食(は)んでいるだけの晴之丞に目を据えたまま、男は言った。
「お主は、身共の名を聞こうともしないな。名は、永井格之進」
「まぁまぁ、ご立派な名の格之進様は御飯を御代わりされたんでございますか。夕実を叱りつけときましたから、以後は盛切りにしてくださいよ」
下働きの女が、ふたりの膳を下げた。
「狸の金玉(股いっぱい=又一杯)が蹴られてしもうたか、こりゃ痛いわい、ハッ、ハッ。米が値上がりしてからは、皆、しみったれたことばかり言うのぅ」
女は振り向いた。
「ようゆうわ。格さんは朝夕抜いて、ここで狸の溜め糞、ちゃうわ食い溜めして帰るん、知ってまっせ」
「さぁて、先行っててくれ。ちと用を済ませてから参る」
晴之丞は、手にしていた湯呑茶碗を女に渡すと、人でごった返している店先に戻った。