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大坂暮らし日月抄

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 天保六年(1835年)は、春から雨が多く、台風にも度々見舞われた。日照不足の夏となって、稲熱(いもち)病が蔓延した。六、七月頃から稲の葉に暗緑色の斑点ができると、次第に褐色となって茎が腐ってしまうのである。
 罹病した稲は間髪を入れず抜き取り、焼き捨てなければならない。
 天候不順は、野菜の収穫にも影響する。
「こりゃぁ、前ん時以上、厳しなるぞ。覚悟しとかんならんな」
 実際、野菜や果物の入荷がままならず、手にする労賃はかろうじて、その日暮らしができる程度になってきていた。


「ぼんさんがへをこいた」
 子供が、かくれんぼでもしているのだろうか・・・久し振りに聞く子供の声だ。
「ぼんさんがへぇこ」
「きった!」
「わぁ〜」
 ああ、“はじめのいっぽ”。
 今日は藪入りで、奉公に出ていた子供たちが久しぶりに出会う兄弟や友達と、遊びに夢中になっているらしい。
 口減らしの意味もあってかまだ幼い子供までが奉公にやられ、子守やお使いの仕事にありついているのだという。食事は奉公先で用意してもらえる分、たとえ手間賃はなくとも借家に住む者にとっては大助かりだ。しかも、読み書きそろばんは、年長の者が手隙の時に教えてくれているという。
 まだまだ、母親にまとわりついていたい年頃だ。こうして帰って来た時には母親に甘えたいのであろうが、友達との遊びの誘惑が勝っているらしい。
 もういっちょまえなんやから、かぁちゃんがそばにいてへんかってもへっちゃら、という子供なりの虚勢かもしれないが。

「かぁちゃんっ」
 お京の息子の太一の声だ。
「持ったる」
「ええって、もうそこなんやから。それより、遊んどいで」
「もうええねんっ。こどもの遊びは」
「何ゆうてんのん。まだまだ子供のくせに。さっ、みんな待ってるよ。できたら呼ぶよって、表で遊んどいで」
「うんっ。表の広いとこ行こうや」
「おもていこう」
「かぁちゃん、腕により掛けるよってになぁ」
 太一の声が右から左、左から右に通り過ぎて、お京の声が明るく響いた。

 源兵衛裏長屋の井戸端から、威勢の良い話声が聞こえなくなって、久しい。
 物の値段は上がるのに、手間賃は下がる。時には仕事にもあり付けない、といった話は至る所で交わされている。
 それでも藪入りの今日は、どこの家でも家族が揃う日だから賑やかになると思っていたのだが。子供たちの声が遠ざかると、静まり返った路地からは物音ひとつ聞こえてこない。野菜を洗うのさえ、近所に遠慮して音を立てないようにしているのだろう。お菜を融通しあっていた協助の精神が鳴りを潜めてしまっている。そんな余裕がないほどに、どの家も暮らしが逼迫しているのだ。
 太一は、藪入りに合わせてお店から小遣いをもらったらしい。
 厠に立った時に、太一の声が聞こえていた。小遣いはすべて、お京に渡していた。
 毛羽立った畳に寝転がって、頭の下で手を組んで天井を睨んでいた。
 京での地震、江戸での大火などの凶事によって天保と改元されたものの、天保となった途端に天候不順が続いて、作物の生育がずっと不良である。米の値段が上がれば、すべての物の値が上がる。人々は始末する。仕事は減る。
 日はまだ高いが、室内は暗い。
 浮き出て見える天井の染みが、ここに住んできた人々の汗が滲んでいるのだと考えてきたが、今は却って、わびしく感じられる。
「ハァーッ。己の人生、こんなではなかったはずだが」
 天井に向かって愚痴ってみた。
 おてるの目は確かなのだろう・・・5年前の出来事を思い出した。
 胸懐から紙入れを取り出し、そこに仕舞っていつも持ち歩いている文をそうっと広げた。折り目がすっかり綻び、破れかけている。
――もう5年、か。
 伊勢路の宿屋の親爺が言っていたように、自分で無意識に書いたのだろうかと思ったこともあったが、今では小雪が書いたものだと信じている。
 《源兵衛長屋に きっと もどりませう》という文言の意味しているところは・・・。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実