大坂暮らし日月抄
炭を荷車に乗せて運び出しているという、しっかり踏み固められている山道には、落ち葉が厚く降り積もっていた。山側と谷側ともに、猪が雨後の土を掘り返した跡が続いている。四半刻程その道をたどって行くと、炭焼き小屋に行き着いた。大小交えた窯が十ほど並んでいる。少し離れて、切り揃えた丸太が積まれていた。
朝陽が差し込んでくると鳥たちの採餌の時間なのだろう、賑やかな囀りが始まった。その合間に瀬音が聞こえてくる。緩斜面を降りていき、沢の水を掬って口に流し込んだ。満たした吸筒を下げているが、そのまま残しておく。
行き止まりのように見えるが、伊勢地の宿屋で教えられたとおりの杣道はすぐに見つかった。ぽつぽつと見える太い大きな立木と自由に枝を広げた木々。その下には羊歯(しだ)と笹が生い茂り、草をかき分けて進まねばならない。
宿屋の亭主の助言を得て、刀は背中に回している。腰には代わりに、亭主が貸してくれた鉈を手挟んで来た。それで草を薙ぎ払いながら道をたどって行けば良いとのことだったが、人の通っている道なので手でかき分けるだけで十分だった。
ツツピーツツピーと四十雀(しじゅうから)は囀り、大小の鳥が、チッと警告を発して、羽ばたき移動していく。
野袴が、草の雫を払い落し、足元から濡れてくる。
きつい傾斜は目の前から途切れず、どこまで続いているのかと若干嫌気がさしてきた。
蔓草が行く手を遮れば、鉈で切り除いた。
こんな不自由な道の先に、はたして、小雪は暮らしているのだろうか・・・。
徒労に終わるかもしれないと覚悟して、息を切らしながらやっと峠にたどり着いた。だがその先にはまだ、同じような情景が重なり合うようにして続いていた。
苔むした倒木に腰をかけて、宿でこしらえてもらった握り飯をひとつほおばり、水を吸筒の半分ばかり飲んでから立ち上がった。
教えられたとおり右手方向に踏み出すと、甘い香りが漂っているのに気づいた。
金木犀のような匂い。
深く息を吸ってその香りを胸に取り込むと、心が静まるようであった。
さらに目を閉じて深呼吸を繰り返すと、体が軽くなっていくような気がした。
「晴之丞様」
聞き慣れた声が聞こえた気がした。
目を開く。
目の前には、小雪が立っていた。
見慣れた姿の小雪が、そこにいた。
「小雪、捜したぞ。一緒に帰ろう。そうして、夫婦(めおと)になるんだ」
「嬉し。なら、この道を共に下って参りましょう」
言うが早いか、すぐに歩き始めた。
前を行く小雪の歩みは早かった。遅れまいとして追いかけた。草叢をかき分ける所作なく、鳥の囀りも耳に入らない。
見え隠れしている結髪。
距離が縮まって眼を据えると、肌に張り付いた後れ髪が、そして、うなじから肩にかけてのなめらかな躍動が、艶(なま)めかしい。
腕をとり、抱きしめたい。いや、吸い付きたいほどの衝動が、体の奥深いところから付きあげてくる。
あと二間ばかりの隔たりが、一向に縮まない。
気が焦り、手を伸ばす・・・。