大坂暮らし日月抄
栗尾晴之丞が小太郎の世話に関わるようになって、2年以上が経過していた。
物覚えがよくて人懐こい。優しい表情が人を引き付けるらしく、ふわふわした被毛に触らせてくれと寄って来る人もいる。甘えるのが上手ゆえに、寄って来た人を喜ばせもする。
そしてなにより、遊ぶのが大好きだ。棒きれを投げてやると一目散に駆け出して咥え取り、揚々とした軽やかな足並みで戻って来る。それを再び投げてくれと、走り出そうとする姿勢を見せてせがむ。
心を通わせられるようになってくると一緒にいることで、ただいるだけで、満ち足りた気持ちにさせられる。言語不要。気づかいの煩わしさがない。
このままずっと、その時の流れは続くと思っていた。
九月に入ると、小太郎も暑さから解放されて活力を取り戻し、これからは時々遠出に付き合っていこうかと思い巡らせていた。
外歩きから戻って来ると、見張っていたかのように門番がすっ飛んで来て言った。
「瀬田藤四郎様がお待ちなんや。カステーラの毛繕いが終わったら、すぐに行ってくれるか」
与力瀬田藤四郎からの改まった呼び出しは、小太郎に引き合わされた日以来のことである。
何か粗相でもあったろうか、とまず考えたが思い当たる節はない。
正式なお抱えにでもなればよいのだが、と逡巡しながら前回と同じ部屋で待った。
だが、違ったのである。
半分上の空で、言葉が頭の上を通り過ぎていく。
要するに、お役御免。
「御奉行が交代することになってな。2年交代が普通なんやが、高井山城守実徳様は10年にもなる。ま、いろいろ難儀な事件が多かったよってに、大塩殿とええ組み合わせで役目を終えられた、ちゅうことやな。筆頭与力の大塩様までが、御奉行が代わられるのに合わせて、跡目をご養子に譲られるとの由。人事が入れ替わることになる。さて、拙者はどうなることやら……」
それと小太郎係のお役が解かれる関係が、分からなかった。長々と続いていた話の筋がようやく結論に達して、理解できた。
「……、そこでだ、カステーラ。山城守様のご帰国に際して、江戸の御大(おんたい)に献上することが決まった」
黙って平伏するだけであった。