大坂暮らし日月抄
この頃、破戒僧の取り締まりが強化され、六月には三十人以上もの僧侶が遠島の刑を受けた。
昨年の、西組奉行所筆頭与力弓削新右衛門の悪事を追っていた時に寺僧の風紀の乱れが耳に入ってきていたが、大塩平八郎自身の身に危険が及ぶことが考えられていた時期でもあったため手が回らず、しばらく捨て置いていたのである。
弓削の事件が落着してから、僧門の実態把握に踏み込んでいった。
切支丹信仰は固く禁じられている。寺社奉行所は、毎年十月に農民町民一人ひとりの宗旨調べを行い、それぞれの檀那寺に宗旨人別帳を作らせていた。お寺は檀家に、その証明となる『宗門請合(宗旨手形)』を出す。引っ越しや奉公の際の身分証明書のようなものであり、それがない者は切支丹の疑いをかけられた。
寺は、税金を納めなくてもよい上にそうした権力を有していることから、檀家に布施を強要するようになっていた。
それを原資として僧侶自身の隠れ遊びや密かに妻帯する者、酒池肉林といった豪勢な生活など、風紀の乱れが著しかったのである。