大坂暮らし日月抄
「晴さんは、結局お伊勢参り、せぇへんかったん?」
「武士はそのようなことには踊らされぬ。それに、仕事を置いては行けぬであろう」
「ふーん、はいこれ。お伊勢さんに行った、ちゅうお印。生姜糖」
小間物屋問屋で繋がりのある女衆の一団として、参加したというおてる。かざり職人の亭主が交代して今、伊勢神宮を目指しているという。
「かたじけない」
晴之丞は、土産の品を受け取りながら故郷の松江に想いを馳せた。
出雲の生姜糖は全国一の逸品、と言われており、祖母様が時々「目、つぶり。あ〜ん」と言って、ひとかけらを口にほうり込んでくれたものであった。
「晴さんっ、どこ見てんのんっ。帰りになぁ、青山峠の麓にある伊勢地宿に泊まったんやけどな。そこで、ちょっと見かけたんやわぁ。誰やと、思う?」
てるは意味深に、口の端を上げた。
「小雪さん」
晴之丞は、てるを見つめた。
「いややわぁ、そんな目で見つめられたら誤解してしまうやんか。晴さぁん、うちはかまへんけどなぁあ〜ん」
鼻から空気を抜いた言い方をして、すぐそばまで寄って来てそろえた両手が晴之丞の胸に置かれると、顔のほてりを感じて、一歩下がって向きを変え、土産の品を部屋の上り口に置いた。
「いやっ、かわいい。冗談やんか冗談っ」
「それで、小雪の方はいかがした」
やはり、気にかかる。小雪のことだが・・・。
「川に隔てられとったさかい、近くまで寄られんかったん。それで大声出してな『こゆきさ〜ん』て呼んだら」
てるは、ひと呼吸置いた。晴之丞の内心はじれったい。
「見向きもせんと、行ってしまいはった」
「人違いだったのか」
内心、がっかりした。
「髪はひとつに束ねとって太もも丸出しの身なりでな、麻袋肩に担いで、颯爽とした姿で山の方に行ってしもたんやわ。前と違うてほっそりしてたけど、あれは確かに小雪さん。ちょっと癖のある歩き方してたやろ、うん。あの横顔は、やっぱり小雪さんやで」
癖のある歩き方。
蝮に咬まれたところを、毒を吸い出すために深く切り過ぎて――それはあせっていたこともあったのだが――時を経ても時々うずくのだと言っていた。
おてるが見たという人物は、小雪に違いない。山に入って、あのあたりの山は高い山はなくとも奥が深いと聞いているのだが、一体、何をしているのだろうか。
何があったというのだろうか・・・。
掌を握りしめて視線を斜めに落とし棒立ちになっている晴之丞を、てるは、黙って見上げていた。娘が「おかぁちゃ〜ん、お腹すいたぁ〜」と、開いた戸口から覗き込んで来るまで。
「ええとこやのに」
ぶつぶつ言いながら出ていった。