大坂暮らし日月抄
野次馬連中の中に、女の袂に巾着を落とし込んだ若者が腕組みをして、にやついている姿を捉えた晴之丞は、人々の後ろをまわりこんで若者の背後に付くと、二の腕をつかんで老人の前に引きずり出した。
「イタタタタタッ、なんだよォッ、てめぇ」
「ご老人、こいつに覚えはないか?」
「ん? はて・・・この人が何か?」
「ご老人とすれ違いざまに胸元の巾着を抜き取り、前を歩いていた女の袂に落とし込んだ」
「なぁんだよぅ、いったいなぁ。言いがかりもたいがいにしてくれよなぁ。証拠でもあるっちゅうんか、ご浪人」
ご老人、に引っ掛けた皮肉である。こんな場面でもしたたかなものである。
「掏ったところを見ていたんだ。いや違うな。見えていたんだな」
ほんとは、掏った瞬間は見ていなかったが、試しに吹っ掛けた。
「ほんまどすか! お前が盗んだんかっ」
「よぉくもぉうちに、濡れ衣、着せてくれたなぁっ」
ふたりがかりで詰め寄ろうとしたのを、目明しが遮った。
「お侍さんよォ、間違いやないでっしゃろなァ。見間違い、やったなんてェことは、言わんといてくださいよォッ」
目明しがそう言っている間に、若者が人々を押しやって走りだした。周囲で見ていた人々は、突然の若者の行動に、ついっ、と体を避けてしまったから、そのまま走り去ってしまった。誰もが呆気にとられて、走りゆく後ろ姿を見送っていただけである。
誰の目から見ても、若者が掏った犯人だと分かる。そして、目明しがわざと逃がした風にとれない事もなかった。
目明しは、しぶしぶと言った態で老人に巾着を返し、女には「すまんな」とだけ言って、背中を見せて悠然と立ち去った。
「お侍さま、ありがとうございました。濡れ衣を着せられずに済みました」
「私からも礼を申します。ありがとうさんでございました」
老人は、巾着から幾ばくかの銀を取り出した。
「建具屋をしておりますが、この中には大切な書付けが入っているのでございます。これを失くしたら、えらい目に遭うところでございました。些少ではございますが、お受け取りくださいませ」
しかし、晴之丞は断りを述べて背中を見せると、腕組みをして悠然と家路についた。