大坂暮らし日月抄
晴之丞は今のやり取りに興味を覚えて、九兵衛が座っている帳場格子の横に腰かけた。
「うどん屋の釜、とはなんだ」
他愛ない会話から入る。
「あれっ、お帰りになるん、ちゃいましたんかいな。うどん屋の釜でっかぁ。うどん屋の釜の中は、何が入っとりますかいな」
「うん?・・・湯、だろうが」
「ゆうだけ、でんな」
「ふん。で、今の奴、岡っ引き、かとみたが」
「大坂では常供。目明し、ゆうたら分かりやすいでんな」
「それが、金貸しでもしているのか」
「それもたちの悪い、高利貸し。目明しには給金は出ませんわな。かみさんに飯屋やら居酒屋やら、やらしてるもんが多いんですけどね、甚五郎は、見守り賃と称するみかじめ料で貯め込んだ金を、高利で貸し付けては、脅して返済を迫る。脅されてもたいがいのもんは返せませんよってに、利子だけ受け取りよる。元金は減らさんようにして、その高い、受け取った利子で暮らしとるんですわ。まるで、やくざの手口でんなぁ」
「拙者の寺子屋にも度々やって来るんで、銀の小粒を握らせているんだが」
「毎月?」
「いや、ふた月に一度」
「ははぁ〜ん、西組奉行所、でんな。まっ、そんなもんでしょうが、西組は東組に比べても、風紀が悪い。東組奉行所はね、筆頭与力の大塩平八郎様が、いたって生真面目な方だとか。ご自分に対しては、付け届けなんぞも一切受け取るな、とお厳しいらしゅうございますなぁ。一度奥方様が受け取ってしまわれた時なんぞ、すぐ返して来い、とすごい剣幕であったそうにございますよ。ご同輩の与力様や同心の方々も多くが、門下生となられておりますそうで」
晴之丞はここぞとばかりに、九兵衛に問いかけた。
「九兵衛も知っておるのか。確かぁ、せぇ、洗 心 洞、だったかな」
「はい、多少は。学問の詳しいことは存じませんが、寄宿舎がありましてね。朝早くから剣術のおけいこ。朝餉を頂いた後は夕方まで、皆さん講義に出ておられるそうです。もう一日中お勉強の時間で、怠け者に対しては、それはそれはお厳しい態度で臨まれているとゆうことで、すぐに逃げ出してしまう人もいるとか。大塩様はお仕事に対してもとても熱心で、少しの悪も許さない態度でおられるそうですけど、慕っておられる方々が多くてね。東組が当番の月は、皆喜んどりますなぁ。栗尾様も東組奉行所に出入りされてるんですから、噂ぐらいお聞きでしょうに」
「いや、そんな話は全くせん。その講堂の場所は、知っておるのか」
「興味、もたれた?」
「その、大塩、とか言う与力の事は、よく耳にするのでな。そうだ、以前お主が言ってた事があろう」
「んぁああぁっとぉ、盗賊と差しで渡り合った話ですな。何せ、槍の技において右に出る者はいない名手で」
「ああ、その話はもうよい。それで」
「場所でございますね。天満川崎町に与力様のお屋敷が並び集まっている地がありましてね。大きな冠木(かぶき)門の内は五百坪ありまして、寄宿舎、道場、講堂を築いておられます。私もね、飯炊きばぁさんや下働き人の斡旋で、何度か伺ったことがありますんでね。そりゃもう、立派なお屋敷で、池に高価な鯉が泳いでいるんでございますよ。しばらく立って、見惚れておりました。門人の方々がほうぼうから手配してくるらしくってね。まぁ、その鯉を見て来るだけでも、価値はありましょうねぇ」