大坂暮らし日月抄
「よっ、晴さん、小雪さんに逃げられたんやて? 雪隠場の火事(焼け糞)、起こさんよう、気ぃつけや」
最近は、長屋の連中から、晴さん、と呼ばれるようになっている。それだけ親しみが込められているのだと理解はしているが、この駄洒落だけにはついていけない。お京が、助け船を出してくれた。
「あんたぁ、そんな下品な言い方、せんとき。石屋の宿替え(重い重い=思い思い)にも、訳があるんやよって」
「そうやぁ、晴さんは、流行らん問屋(荷が着かぬ=似つかぬ)や」
お米も加わってきたので、苦笑を浮かべて、そそくさと家に入った。
書き置きも残さずに小雪が消えて、五日が経っていた。
奉行所での務めを終えて戻って来たところで、忘れ物を取りに戻ったという大工の助八と、出会ってしまったのである。
誰かが買っておいてくれたのだろう。いっぱいになっている水瓶の水を柄杓で飲んでいる時に、お米が戸口から顔を覗かせた。
「晴さんどないやろ、思ぅてるんですけどねぇ」
「何がです?」
「小雪さんの代わりに、寺子屋の方」
「それがしには、人に教えるという心得が無いのだが」
「そやけどお武家さんは、それなりに学んではるん、ちゃいますのん」
中に入って来て言った。
まぁ、勘定方で務めていたのだが、と思案していると今度は、子供を背負ったお京が覗きこんだ。
「晴さん、お水なぁ、さっき水売りが回って来たんで買(こ)うといたさかい。お米さん、呉服屋の手ったい、どないしはったん」
「帰らしてもろうたん。お店の旦那はんがな、代わりのせんせ、はよ探さなあかんな、言わはったさかいに、ほなら小雪さんの御亭主に聞いてみます、ゆうて帰って来たんやわ」
お京も中に入って来ると、ふたりして晴之丞を見上げた。嫌とは言わせない目付きである。
「それでは」
と言って、奉行所での務めを終えてから、時間は短縮して、ということで引き受けた。
手習いの師匠を始めてから分かったのだが、十手をちらつかせた輩がよく顔を見せる。その意図するところが分からなかったが、算盤を習いに新しく入ってきた少年は、途中で奇声を発して、読み上げを邪魔することがあった。
その度に、「けったいな声が聞こえたが、何かあったのか」としつこく聞いてくるのである。当方に落ち度があったような言いようである。
その態度が次第に、金銭を求めている様子となっていた。
あからさまな態度を見せられて、それが鬱陶しくもあり銀一粒を握らせると、やって来る間隔はふた月に一回程度となった。東組奉行所と西組奉行所がひと月交代で務めているからだろうが、西組奉行所が月当番の時に限ってやって来る。しかも奇声を発していた子どもは、初めて銀を握らせた翌日から来なくなっている。
寺子屋では多くの稼ぎがあるわけではない。先生などというのは、半ば奉仕のようなものである。これだけを生業としている者にとっては、付け届けによって、ようやくゆとりが持てる程度のものであろう。
大坂では常供と呼ぶらしく、江戸で岡っ引きと呼んでいた彼らに対する見返り相場が分からなかったのだが、彼ら自身が判断してやって来るのだということを理解していった。そして彼らには、縄張りがあるという事も。
晋作が言っていた事態に直面した今、自身も順応していかなければならないのだと言い聞かせた。
小雪もうまく対処していたのだろうな。小雪が戻って来た時に、落ち度なく存続させた状態で返したいと思い、溜息をついた――いや、もう帰ってこないに違いない。小雪は忍びだったのかもしれん。やはり、自分の命を狙っていたに違いない。
それでもなお、小雪の存在を失くしてしまった今、寂しさがどっと押し寄せてくるのであった。