大坂暮らし日月抄
寺子屋としている仕舞屋を出ると、住まいとは反対方向となる神社に立ち寄って、石灯篭の基部後ろの地面を小刀で掘り返した。仕事仕舞いにはまだ早いこの時間帯には、人の往来のほとんどない神社である。それでも人の気配に留意して油紙に包んだ物を取り出すと、すばやく元の状態に戻し、風呂敷を抱えていつも通りの態で源兵衛裏長屋に戻った。
いつもと変わりなく夜を迎えた。
晴之丞の寝息を確認するとそっと風呂敷を抱え、外に出た。暑さのために、どの家も戸は開け放している。静まり返った通路を音を立てないように気遣いながら奥へ、厠の横にある狭い隙間を、お腹をへこませるようにして横歩きで通り抜けて、表通りに出た。
防災用の木桶に隠れて忍び装束に着替えた。久方ぶりの事である。ここへはしばらく戻ることはないかもしれない故に、脱いだ着衣を入れた風呂敷を背負い、閂で閉じられた木戸を乗り越えた。
その時の己の動きに、俊敏さが欠けていることを思い知った。
灯火の明るさを残している曽根崎村を過ぎて梅田へ。墓地の中の一角を掘り起こすと、隠していた油紙に包んだ武器が出てきた。代わりに風呂敷ごと埋め戻した。
武器一つひとつを確認しながら体に装着し終えると、束ね髪を揺らして、指定された場所へ駆けた。
「茜、久し振りだな、随分捜したぞ」
ふいに掛けられた声に立ち止まると、闇の中、大きく息をつきながら目を凝らして前方周辺を窺った。
五〜六間(約10メートル)おいた先に、闇に慣れた目が、おぼろげながらも人の輪郭を捉えた。周りは田地で、下は泥地である。
「リュウ! ワシと晴之丞の命を狙って、来たのか!」
「晴之丞は余興だ。だが茜、お前は、頭の命令だ。抜け人は放っておけぬ成敗せよ、とな。何故、所在を消してしまったのだ」
カエルの声だけが賑やかに轟いていた。その声を掻き消したのは、リュウである。
「フンッ、癪に障る。幸せ太りしやぁがって。その分じゃあ、腕も落ちてんだろうぜ。おヌシとは、持てる力のすべてを出し切って勝負するつもりで、今まで捜してきた。それが、長年共に修業に耐えてきた仲というものだ。しかもずっと、後塵を拝してきたワシの立場でもある。それ故に、ワシが頭に名乗り出たのだ。半年、待ってやる。これより六回目に訪れる、朔の日から捜し始めることとする。一年かかろうが二年かかろうが捜し出してみせるから、好きなとこへ行って腕を磨けッ。ただし忘れるな。その間、ワシはもっと腕を上げているということを・・・ハンッ、捜す楽しみができたワイ」
一方的に喋り終えると、人影は闇に溶け込んだ。遠ざかる声がかろうじて届いてきた。
「茜、ワシはずっと、好いていた・・・」
再びカエルの声が高揚してゆく中で、茜こと小雪は、唇を噛みしめて佇んでいた。