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大坂暮らし日月抄

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 小雪が教える寺子屋を訪うのは、近くとはいえ初めてであった。
『いろは にほへと』という縦長の木札が、玄関脇に掛けられている。欄間には、大きな算盤の看板が出迎えていた。
 玄関扉を開けて入って行っても、誰も振り向きもしない。二間続きで障子はすべて開け放っており、庭の方からは、気持ちの良い風が吹きぬけてきている。
 静まり返った十人ほどいる様々な年齢の子たちの中にあって、六歳になるお京の息子までもが、姿勢を正してお手本を見ながら、筆を持つ手を一心に動かしていた。
 子供たちの様子を見守るようにして、小机を前に座っている小雪が人の気配に顔を向けると、目が合った。眉を上げ、口をへの字にして横目で睨みつけてきた。昼八時(ひるやつどき)の鐘はとぅに鳴り終わっている。
 子供たちは順次、書き終えた紙片を小雪の元に持って行って評をもらうと、帰り支度を始めた。敷居際に両手を突いて挨拶をしてから帰って行く。あの腕白までもがかしこまって挨拶を済ませた後、晴之丞には舌を突き出して帰って行った。
 小机の上を片付けている小雪は、考え事をしているらしい。時々、晴之丞の様子を窺ってくる。

「行儀のよい子たちだな。感心したぞ、あの太一までもが」
「ここへ来られたのは、初めてではありませぬか。お急ぎの御用とお見受けいたしましたが、如何されました?」
「上がって良いか、見てほしいものがある」
 小雪は首を傾げて立ち上がると、廊下に出て正座した。晴之丞はその横に腰かけて、懐から取り出した物を手拭いごと差し出した。
「なんでございましょう」
 晴之丞に顎で促されて、手拭いを開いた。棒剣を見ても、表情を変えずに問いかけた。
「これは?」
 小雪の表情の変化を見逃さないようにじっと見ていたが、ありきたりの反応を見て、早朝の出来事を伝えた。
 小雪は晴之丞の話を聞きながら、棒剣をいろいろな角度から見ていた。
「まぁ、こわい。何かお心当たりが、おありなのですか」
「ない事もないが・・・せいぜい、お主と同じ屋根の下で寝ている事だろうな」
 人に話せない事情はある。言葉を濁した。それ故に、小雪の素性を問い質す事も憚られ、棒剣を返してもらうとその仕舞屋を出た。

 小雪は晴之丞の話にうなずきながら、棒剣の投げ手を確認していたのである。触手で分かる印が刻んであり、覚えのある人物の顔を思い浮かべた。それには小さな空間が細工されており、特殊な薄い紙を小さく丸めて隠しておける。晴之丞に見られていることを意識しながら、指の動きだけでその紙片を取り出すと、なにげない仕草で袂に落とし込んだのであった。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実