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大坂暮らし日月抄

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 背中や腰の痛みも和らぎ、荷担ぎの仕事にもどうにか慣れてきた頃であった。
 湯屋でひと風呂浴びて大通りに出ると、いつも惣菜を分けてくれる、隣に住んでいる娘、おゆうと出会った。
「やぁ」と手を上げると、そっぽ向いて知らぬ顔で横を通り過ぎていく。いつも愛想の良いおゆうの態度に首をひねりながら、持って行きようのない上げた手で首筋を掻いた。
 裏長屋に戻ってくると、夕餉の支度に取り掛かっている女たちが数人、井戸端で喧(かまびす)しく喋り立てている。その中のひとりが晴之丞の姿を認めて、あわてて掌をひらひらさせて話をやめさせた。
 晴之丞は、「お帰りぃ」と威勢よく迎えた女たちの、好奇の視線を意識して、やはり首をひねりながら入口の扉を引き開けると・・・土間に足を踏み入れた瞬間、眉が思いっきりつり上がった。
 
 屈んで背を向けている女が、へっついに火を熾そうと苦心しているらしい。火吹き竹に懸命に息を吹き入れているのだが、白い煙と灰が舞い上がるばかりで、薪にはいっかな火がつきそうにない。
 軽く咳払いをした。
 女は顔を赤くして、頬を膨らませて息を吹きだすのに精いっぱいで、晴之丞の存在には気付いていない。
 再度、大きく咳払いをした。
 ビクッとした女は振り向くと立ち上がり、慌てて襷をはずして一歩二歩、下がる。
「お、お帰りなさりませ」
 その顔を見つめて、しばらく思案した。
「お主、確か、小雪?」
「お久しゅうございます」
 頭を下げながら続けた。
「あなた様を、追って参りました」
 追って、に力を込めて熱い視線を投げてくる。
 晴之丞は戸惑いを隠すかのように、顔を戸口に向けた。すると、井戸端に集まっていた女たちばかりではなく、仕事から帰ったばかりの亭主連中も道具類を手にしたまま、顔だけを覗かせていた。
 慌てて小雪の腕を引くと、人垣の間を抜けた。
 
「やらし、どこ行くのん。家(うち)ん中でゆっくりさしたったらええのに、遠いとこ来はったんちゃうのん、なぁ」
「そうやぁ、外行かんでもええやん。ぶぶ入れたげよ、思うてたのに、なぁあんた」
「おぅ、どないなるんか楽しみやったんやが、黒犬のおいどや」
「なんやのん、それ」
「尾も白ぅない。ガハハハ」
「しょうむな」

 長屋連中の好き勝手な言葉と笑い声を残して裏木戸を出ると、近くの神社まで、並んでゆっくりと歩いた。
「このように共に歩くのは、初めてのことだな・・・ぇヘンッ・・・如何ようにして、拙者の所在をつかんだのです?」
「まぁ、お隠しになっておられたのですか。とすれば、大変うかつなことでございましたなぁ。口入屋さん、といえばお分かりでしょうか」
「あっ」
 晴之丞は、額に手を当てた。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実