大坂暮らし日月抄
「それがしが住んでおる京町堀から天満にかけては、守口村が担っているというのか」
「はい、さようで。長屋の方たちがおっしゃってるんは、文政三年(1820年)の事でしょうなぁ。決着がつくまでは、そりゃもう大変でした。肥料としては、簡単に年中手に入りますよって重宝するんですけどねぇ。いつの間にやら、丁目ごとに汲み取り株が取りしきっとって、引き取り代金が次第に跳ねあがっていったんですわ。作物は買いたたかれるし、肥料代だけで売値の半分ともなると、やってられしまへん。そんで、こっちも意地がありますよってに、屎尿使うん、止めたんでございます」
「それで、町方ではえらい事態になった、ということだ」
今日も朝早くから小太郎を連れて守口村まで来ると、白井孝右衛門の田んぼを前にして、話しこんでいる。白井孝右衛門は、柱と屋根だけの簡素な小屋をあちこちにいくつか拵えており、縁台と物置き台を据え置いている。通りがかりの人へのちょっとした心遣いだという。
小太郎は露に濡れた草の上に寝そべって、そよと吹く風を気持ち良さげに受けていた。
莨入れを袂から取り出して、近くに置かれていた煙草盆を引き寄せ煙管に刻み煙草を詰めると、火種用の蓋を持ち上げてスパスパしてから、白井孝右衛門が言った。
「訴訟にまで成りましたなぁ。あんさん、付け届けが大変でした。もう、町のもんとの競争でんがな。あれで、お役人ら、だいぶ懐、肥えさせたんちゃいますか、肥のおかげで」
「で、勝ったわけだな」
一服している間に、空に目線を上げて思い出していたらしい。煙管の灰を落としてから言った。
「まぁ、おかげさんで代金制は廃止になりましたがな。双方、えらいお叱りを受けました。今でもよう覚えとります。こんな風にですわ。ゥェッヘンッ、『町方が処理に困る屎尿を村方に引き取らせた上代金まで要求する行為は、道理に反する』、『丁目ごとの割り当てに安住して町民に対する奉仕の精神を失い、作為的に汲み取りの遅延までして町方との反目を深めておるのは、誠、の道に反する』。さすがぁ今もお務めのお奉行様ですけどね、ええこと言わはりましたなぁ」
「で昨今は、遅れておるのか?」
「えっいえ、そんなことは決して。権造にきつく言っておきます」
にこやかだった白井孝右衛門の表情が、一瞬で引き締まった。