大坂暮らし日月抄
「あっ、お客さん、お勘定」
という大きな声があがり、その方を見た。奥から店主があわてて跳び出してきて、その娘を強く諌めた。
「おぅ親爺、ごっそさん」
「毎度おおきにさんで」
その客が手を上げて出ていった後、娘は「お勘定」と呟いて、不満げに店主を見た。
「よう覚えときや。あいつはやな、十手を預かってる旦那や。いっつも案配よう目配りしてくれてるさかい、好きなだけ飲んでもうてるんや。きつぅ叱って悪かったな、堪忍やで」
そうして周りの客に、
「お見苦しぃとこ見せてしもぅて、すんまへん」
と言いつつ頭を下げながら、奥に引っ込んだ。
晴之丞と晋作は、声をひそめた。
「手先、大坂では常供、と呼んでるあいつら、強請(ゆすり)たかりがひどくて、無銭飲食は当たり前」
「大坂は、ひどいのか」
「ケッ、通り越して、あくどい。役人自体、賄賂が公然といきかってる。松江藩屋敷の方にも度々やって来るんでな。逆らうと後が厄介で、もう、奴らの言い成りだ。親爺ぃ、勘定っ」
強請、たかりの輩と同じ空気を吸っていることが堪えられないからという、分かったような分からない晋作の言い分で店を出ると、右と左に分かれた。
帰り道に偶然見かけたのは、前方にある大きな料亭に入って行く二本差しの男たち。その前まで行くと、「お役人様……」との声が聞こえてきていた。
「高級料亭で、会合、か。豪勢なこった」
金文字で『八百新』と染め抜かれた紺暖簾の店の二階からは、鳴り物と男女の嬌声が振り降りてきていた。