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大坂暮らし日月抄

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小雪の失踪



「プハーッ、ァあ〜ぁ」
 詰めていた息を吐き出し、思いっ切り吸い込んだ。
「ぬくうなってきたさかいに、こたえるわなぁ。目ぇがショボショボするしぃ」
「なんとかならないのでしょうか。我慢できなくなるまで我慢してるんですけどねぇ、体に悪い」
「小雪はんは近ぅで仕事してはるさかい、そこのん使いはったらよろしぃねん。うちらは、ちょっとそこまで我慢できまへんのでなぁ、しょうがなく」
 裏長屋の雪隠は、一番奥の徳平の家の横手に通路を隔てて、三つ作られている。完璧な個室ではなく上からも下からも覗けるため、女たちは普段朝早くに揃って、それ以外の時には誘い合わせて用を済ませることが多い。
 月一回程度汲み取りが来るのだが、春先の農家は忙しいためにやって来るのが遅れているらしく、もうかなり溜まっており使いづらくなっているのである。
「大家さんに、言わなあかんなぁ。あてが、ゆうときまっさ」
 最年長でありここに長く住んでいる、織江ばぁさんが言った。
「ひょっとしたら、業突く張りの大家のことやさかい、売値を釣り上げたんかもしれん」
「おばちゃん、下屎(しもごえ)を売買するんは、禁じられたんちゃいますん?」
「へーっ、只で引き取ってもらっているんですか、大坂では」
「いやぁな、大きい声では言えんけど」
「小さい声では聞こえまへん」
「前はなぁ売ってたんや、たこうで」
「知ってる。それでえらい揉めて、引き取ってもらえんようなって、溢れてたんやわ」
「キャ、きぃったないわぁ」
「そんなん、かなわんなぁ」
「それがあんた、訴訟までになってな、えらい騒動やったんやで」
「8年前やったかいな」

「コラァッお前ら、雪隠の前でいつまで騒いどるんや。わしら待っとるんやで」
「すんまへ〜ん、牛のおいど(モーの尻=物知り)ですよって」
「なんぼ蚕の小便(桑の葉にシー=詳しい)でも鼠六匹(六チュウ=夢中)ちゅうんは、迷惑や」
 たまたま六人集まっていた女たちは肩をすくめ舌を出し合って、男たちと交替した。
 そして、晴之丞と小雪はすれ違いざまに顔を見合わせると、首をひねっていた。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実