蒼き旗に誓うは我が運命
第二章 サン・ディスカバリー号を阻止せよ
一
船乗りの間では、海には魔物が棲んでいると言う。
海の魔女セイレーンは、その美しい歌声で船を沈めてしまうと言う。幾つかの難所は、海王ポセイドンの挑戦だとも言い、人間はその脅威を身を以て知る。彼らの挑戦に挑むか引くか、多くは後者だろう。難破する危険を冒してまで、命を晒そうとする者は多くない。 だかそれは、正しい答えか。やる前から尻込みしているのと、挑戦して見るのと。
それを乗り越えた時の達成感は、挑戦した者しか理解らない。
やっと届いた王宮からの答えに、カインだけが表情を硬くした。サン・ディスカバリー号をプレサワールの港から、真裏のプリウスに停泊し報せを待てと云う。
「何でまた、あそこに?」
「マックス砲術長、プリウスって…」
カインも、船乗りの息子である。そこに何があるのか知っていた。
「岩礁だらけの難所さ。うちのような大型船は一度入ったら出られない。別名、船の牢獄さ」
「イベリアは、俺たちを閉じ込める作戦に出たか」
「一体誰のアイデアだぁ?プリウスに移動させようなんて。上じゃあねぇな、プリウスに何があるかなんて知らねぇだろうし」
マックスが言う上とは、イベリア国王をはじめとする政権中枢にいる人間達の事である。
「―――ロベルト・ワイヤー提督ですよ。キャプテン・リカルド」
港に近い食堂で、ジェフリー、マックス、カインは遅い昼食についていた。そんな彼らに近づいた人物に、ジェフリーは口の端を緩めた。
「どこかで聞いた名前だな?ラインハルト」
「一年前、海賊討伐船を率いていた人物です」
「俺たちに、そんな情報を海軍提督のお前が流していいのか?ラインハルト。裏切り行為だと思われても、おかしくないぞ」
「今回の件に限って、あのオルレアン公爵様が率先して動かれているのが気に入らないんです。何か、恨みを買うような事をしましたか?」
「さぁな。血塗れ公爵だからな、あの男は」
「血塗れ公爵公爵?」
首を傾げたカインに、マックスが説明を加えた。
「先のイベリア国王の弟、現国王の叔父さ。ま、イベリアの実質的支配者かな」
「王様は何をするんです?」
「それは―――」
さすがに、海軍士官を前に憚れるのかマックスは救いの目をジェフリーに向けた。
「つまり、お前の嘗ての上官はオルレアン公に、俺たちの檻をここにどうかと勧めた訳か?」
「私なら、貴方の身柄を拘束しています。船は、主がいなければ動きませんから」
「で、俺を抑えに来たのか?ラインハルト」
「いいえ。貴方を捕らえよとの命令は受けていません。キャプテン・リカルド、貴方ならこのプリウスを越えられますか?」
ラインハルトの問いに、ジェフリーは答えなかった。その表情に追い込まれていると言うものはなく、僅かに動いた口の端をにラインハルトは、彼の答えを察した。
船の牢獄は、プレサールの港の反対側にある港プリウスの別名を言う。
数十年前まではプリウスも港として使われていたが、その岩礁に沖へ出る前にガレオン級の大型帆船は座礁し、または損傷し、イベリアは港とする事を放棄した。そんなプリウスを皮肉って、ある者がこう言った。
―――こんな所に追い込まれたら、船はもう動けない。船乗りにもう船に乗るなと言うある意味の死刑宣告だな。
「―――それで、船の牢獄ですか?」
「無理に出て行こうものなら、船が沖に出るまでボロボロになるからな。沖へ出るのを諦めた船は、乗り手が去ればただ朽ちていくしかない。牢獄と言うより、墓場だな」
最悪の状態だと言うのに、ジェフリーは嗤っていた。
ロベルト・ワイヤーは提督と言う地位にはいたが、外海経験はなかった。何故かオルレアン公爵の周りにはプライドの塊のような人物が集まるようで、この男もその一人だった。ラインハルトが漸く海軍士官になった時、上官だったのがこのロベルト・ワイヤーだった。平民出身である事で嫌味を言われて来たが、一度だけカチンと来たのは、提督なった時だ。
―――ふん、どうせ金で買ったのだろう。
もちろん、努力の結果だが、このロベルト・ワイヤーこそ提督の地位を買っていた。一年前の海賊討伐の時、サン・ディスカバリ号の後方イベリア海軍旗艦ビクトリア内で、ワイヤー提督が真っ青にななりながら震えていたのをラインハルトは覚えている。今回は、出撃命令は出ないだろと、海軍省で嗤っていると言う。さすがは提督と周りで褒めている者たちも似たようなものだから、この国は他国に遅れるのだ。
海賊船を前に震えているようでは、戦争をしても勝てない。だからこそ、サン・ディスカバリー号に出て行っては困ると言うのも情けないが、彼らが止めている理由は別だ。
「実は、私がここへ来たのはこれを渡す為です」
差し出す文書箱に、髪を掻き上げるジェフリーの手が止まる。
「ある方からの、依頼です」
ジェフリーには、蓋を開けなくてもこの箱を届けさせたのは誰か、察しがついた。オルレアン公爵の動きを、一時だけ止められる人物。
「血塗れ公爵も、真っ青だな」
「あの方も、遂に決心されたのです。この国は、変わらねばならないと」
その鍵が、海の向こうにある。その人物は、そう思ったのだ。
「宛てにするなと、伝えておけ」
「理解ました」
軽い舌打ちと供に、ジェフリーは残りの珈琲を煽った。
二
今、ある決断を迫られている人物がいた。あまり多くを語らず、自分の意見を述べる事のなかった彼は、窓から鉛色の昊を見上げて唇を結んだ
―――この国は、腐っている。
全く、容赦のない男だと彼は思った。この国で、堂々と自分の意見を権力者に言える人間は、彼が思うにその男だけだろう。
操り人形だと云われても、動こうとしない自分。怖れていては何も変わらないと、帰りがけその男は云った。
「―――申し上げます。アーネスト・ディ・オルレアン公爵様がお越しでございます」
その男は部屋の主の了承を得る前に扉を開けて、頭を下げた。既に白いモノが髪と髭に混じり始めた男の目は、十分相手を射抜く力があった。その相手が甥であり、このイベリアの国王であろうと。
「―――何用ですか?叔父上…いえ、オルレアン公爵」
「フォンティーラ公爵を裁判に掛けろと皆が申しております、陛下。これまでの言動、更にソルヴェールを動かし、国家を乱そうとしているとの事。もはや、私に彼等を抑える事は限界でございます」
「証拠はあるのか…?」
視線を上げたディ・オルレアン公爵の目がすぅと細まる。それは、公爵と国王のいつものやりとりだった。何か言えば無言の圧力で抑えつける公爵と、言うとおりにしてきた国王の。
「理解った。広間に行こう」
歩き出した国王に、オルレアン公爵がニヤッと嗤う。
邪魔者を遂に排除出来る―――、そんな期待に胸を躍らせて。
だがこの時、一つの計画が動き始めていたのをオルレアン公爵をはじめ、王宮幹部は知らない。ただ一人を、除いては。
「少しは落ち着けよ、坊や」
サン・ディスカバリー号の甲板で、カインは檻に入れられた獣のように歩き回っていた。
作品名:蒼き旗に誓うは我が運命 作家名:斑鳩青藍