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蒼き旗に誓うは我が運命

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 運河の船着場では、道化師姿のゴンドラ漕ぎが客待ちをしていた。収穫祭を祝うこの時期、仮面などで仮装した者がいてもおかしくはない。滑るように動き出したゴンドラの上で、鞘から剣を抜く音を背後で感じた時、ジェフリーは躯を反転させていた。
 「やはり、な。俺まで殺すよう命じられたか?ここなら、逃げ場はなく、足許を取られやすい。だが、俺が、ソルヴェールだと知らなかったようだな」
 「くっ…」
 道化師は、構わずジェフリーを狙ってきた。
 ―――カン!
 「甘い!」
 「くっ…そ…っ」
苦戦を強いられたのは、道化師の方だった。ジェフリーは揺れる船で、海賊と何度も剣を交えた経験がある。
 「―――キャプテン」
 不意にかかった声にジェフリーが顔が上げた瞬間、道化師の剣は腕を掠めた。

 ベイリー商会商館―――、若き会長ウォルトは消えた父を探す依頼を断るか聞いてきた。
 「…ベイリー会長」
 「逃げても何も変わらないよ。真相は残酷かも知れない。でも、得られるのは悔いだけだと私は思うよ。でも彼は、そうじゃない。誰が何と云おうと突き進む。悔いなどないとはっきり断言するからね、彼は」
 海賊公爵ジェフリー、彼の生き方をウォルトは羨ましく思う。今でも船に乗っていたら、最大の好敵手となっていただろう男。



 ジェフリーは、屋敷から港に来ていた。じっとしていられない男は、一日の大半は自分が駆るサン・ディスカバリー号にいた。
 動かぬ船の上では、乗組員の半分は陸の上を満喫している。いつも賑やかな砲術長マックスがいないだけで船内は静かだ。
 「―――本当に驚きました。大抵のことは慣れているので驚かないんですが」
 優雅にティーカップに茶を注ぎながら、銀髪の青年が口を綻ばせた。歳はジェフリーより三つ下、長い銀髪を瞳の色と同じ紫のリボンで緩く束ね、元貴族と云う経歴をもつサン・ディスカバリー号の副長、エルドアン。
 「道化師相手に、格闘している人間はいないからな」
 昨夜、運河で刺客と斬り合いをしているジェフリーを、偶然エルドアンが目撃した。
 「何者なんです?」
 「さぁな。何せ、心当たりが嫌と言うほどあり過ぎるんでな。お前と違って、口はいい方ではない」
 「キャプテンは、正直な男ですから」
 「中には、一言多いと云う者もいるが」
 ジェフリーは、口数が多い方ではない。サン・ディスカバリー号の仲間の間ではそんな事はないが、どうも貴族たちの前では毒を吐いて敵を増やす。
 「今回ばかりは、複雑だ。覚悟しておけよ」
 「覚悟なら、とうの昔にしてますよ。貴方と出会って、この船に乗った時に」
 「―――キャプテン!」
 珈琲に口を付けようとしたジェフリーの背後で、扉が勢いよく開いた。
 「いきなり何だ?マックス。酒場で酒盛りするんじゃなかったのか?」
 「変な餓鬼が、うちで働きたいって言ってるぜ」
 「おや」
 「おや、じゃねぇぞ!エルドアン。うちをそこらの船と勘違いしてるぞ、あの餓鬼」
 「―――そいつ、カインって言う名前じゃなかったか?マックス」
 「知り合いですか?キャプテン」
 「今回の依頼人さ」
 正確には、依頼人にはベイリー商会の会長ウォルトだが。

その日、カインは、ある決意を胸に港に来ていた。彼の前には、ガレオン式帆船がある。
 船の名は、サン・ディスカバリー号。海を自由に駆ける、ソルヴェールの主力船。
 消えた父親を探す為、彼はここに来た。
 父親に特に変わった様子はなかった。いつものように身支度をし、食事を済ませ、運河から港に向かった。男の名は、アロー・ダルトン。ベイリー商会に雇われた交易商人。
 仕事は、往復三日で終わるものだと言う。だがその三日が過ぎ、一月経ってもアロー・ダルトンは帰ってこなかった。
 「坊や、この船に何か用か?」
 プレサワールの港でカインに声を掛けてきたのは、船乗りらしい男だった。
 「この船、サン・ディスカバリー号ですよね?」
 「そうだが?」
 「僕を…、雇ってください!」
 「―――は?」
 マックスが船長室に飛び込む切欠となったカインは、ジェフリーに会うなりマックスに行ったことをもう一度云った。
 「マックスから聞いたと思うが、うちは普通の船とは違う。危険な海を平気で行く。海賊とも遭遇する。この船では、自分の身は自分で護れなければやっていけない。刺客から逃げたいのなら他を当たれ」
 「逃げません。父が何故消えたのか、真実をこの目で確かめたいんです。キャプテン・リカルド、貴方は今回の依頼引き受けたと聞きました。僕に出来るのは掃除や洗濯、軽い料理しか出来ませんが、僕は逃げません」
 「どんな結果になっても、か?」
 「―――はい」
 「決まりですね?キャプテン」
 「おい…餓鬼だぜ?」
 「歳は関係ありませんよ、マックス。ねぇ?キャプテン」
 「ああ」
 それは、サン・ディスカバリー号十八人目の乗組員誕生であった。 


 収穫祭が終わり、王都には冷たい風が吹く。窓越しに枯れ葉が舞うのを眺めていたイベリア国王ジョアン二世は、硬い顔で告げる侍従を振り返った。
 「今日は、謁見の予定はない筈だが?」
 「それが…」
 二人きりで会いたいそうだと告げられて、国王には思い当たる人物はいなかった。
 それほど、意外な男が彼の前にいた。
 「今―――…、何と云ったのだ?」
 イベリア国王ジョアン二世は、呼んでも滅多に来ない男が訪ねて来たのにも驚いたが、その驚きは更に上回った。
 「暫く留守にする」
 「それは聞いた。その暫くとはどれくらいかと聞いているのだ」
 「さぁな」
 「…本気で言っているのか?」
 「一国の主相手に、冗談を言ってどうする。ここに煩いあの男がいなくて幸いだが」
 「その国主に、そこまで云えば十分だと余は思うぞ?フォンティーラ公爵」
 ジョアン二世は、性格は気弱な所がある。政治の実権は叔父であるディ・オルレアン公爵が握り、重臣たちは公爵の息が掛かった者が多い。貴族政治に反感を持つ革命派は、偽王の傀儡政治と呼ぶ。偽王とは、もちろんオルレアン公爵の事である。
 当然、ディ・オルレアン公爵がその報に眉を寄せた。嫌な、予感と供に。
 「―――何をしに来たのだ…?」
 「陛下に、暫く戻れぬと申しておりました。殿下」
 「いつもそんな事を云って来ぬあの男が、か?」
 《殿下》と云う呼び名に満足しながらも、その表情は直ぐに曇った。前イベリア国王を異母兄に持ち、現国王の補佐となった男は国王が成人しても政治の要にいた。自分の敵になりそうな人間は監視を置き、反抗すれば迷わず粛正した。ジェフリーが海賊公爵なら、ディ・オルレアンは血塗れ公爵である。
 「それで、陛下は承諾したのか?」
 「いえ。少し考えると」
 「ふふ、それでよい」
 それは、まさに血塗れ公爵たる残酷な笑い声であった。