からっ風と、繭の郷の子守唄 第6話~第10話
「康平。今、焼きトウモロコシの香ばしい匂いがしました。
あのあたりだけ、食事のための施設が立ち並らんでいました。
山の中でもずいぶんと賑やかねぇ。グルメ街道はどこまで続くのかしら?」
「直線に沿った1キロあまりが、最後の密集地帯だ。
この先に、有料道路の料金所跡がある。そこが人と自然の境界線だ。
そこから上は、自然保護地区に指定されている。
手つかずのままの赤城の大自然が、そっくりそのままの姿で残っている。
人家はここまでだ。ひら、最後のガソリンスタンドが見えてきた」
建物群の一番最後に、「ここが赤城の最後のガソリンスタンドです」と
大きく書かれた給油所が登場する。
ガソリンスタンドの建物を最後に、周囲から人の住む建築物の姿が
完全に消えていく。
「あら・・・・そうすると、たいへん楽しみにしていたわたしの、
焼きトウモロコシは、一体どうなっちゃうの?」
「安心しろ。
最大の難所を迎える少し手前に、黒姫と呼ばれる駐車場が有る。
駐車場の一角に、毎年、焼きトウモロコシの屋台を出している
知り合いがいる。
そこは、標高1000mの高地だ。
そこまで一気に登ってから、君のために、たっぷり休憩をとる」
「嬉しい」と答える代わりに、貞園が康平の腰にまわした両手に力を込める。
康平が軽くアクセルを開ける。
それまで巡航速度を保っていたビッグスクーターが、いきなり、
こころえたと、豪快にアスファルトを蹴る。
弾みのついた加速がはじまる。
周りの景色が線になって流れはじめる。
心地よい風圧が、前方から押し寄せてくる。
「昭和の森」が右に見えて来るころ、前方の視界は緑一色の景観に変る。
旧料近所の前を通過するとき。康平のスーパスクーターの速度計は
軽々と、100㎞を超える。
「ねえ康平。いま通過した森に『昭和の森』って書いてあったけど、
なにか特別なことでも、あるのかなぁ・・・・」
「昭和26年に、戦後の荒廃した国土に緑を取り戻そうと、昭和26年、
全国から約2000人が集まった。
昭和天皇も参加して、2回目の植樹行事・国土緑化大会がここで開催された。
平成の大合併で前橋市に編入されたから、今後は、市民が集える
憩いの森になるだろうな。たぶん」
「ふぅ・・・ん。なるほどね。
権威の象徴の天皇が、わざわざこんな辺鄙な所まで足を運んだのですか。
ご苦労なことですねぇ」
妙に鼻にかかった貞園の長いため息が、康平の耳にまとわりつく。
市街地からおよそ9キロメートル。
標高が545メートルを越えると、自然林の中を疾走するなだらかな
登りの道に変る。
「貞園。ここから先が、赤城山の本当の大自然だぜ」
群馬県は、県土の約3分の2を森林が占めている。
貯水力のある森が多いことから「首都圏の水がめ」と呼ばれている。
中央に位置している赤城山では、江戸時代の末期から、南山麓を中心に
「クロマツ」の植林事業が、ひんぱんにおこなわれてきた。
戦後になると、復興のために大量の材木が必要とされた。
木材の不足を補うため、ふたたび、松をはじめとする針葉樹が、
大量に植林された。
県の木に「クロマツ」が選ばれるほど、赤城山では松が大切に育てられている。
だが広大な赤城山の全域から見れば、人の手による植林は、
ほんの一部にすぎない。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第6話~第10話 作家名:落合順平