恋と友情
思い出しただけでも情けないし、未翼と私との間での意識の違いもわかった今となっては、それは避けられなかったことなのだとしても。
何度か同じように唇をふれ合わせて、今度は彼女の額に、頬骨の上に、まなじりに、まつ毛にキスを繰り返す。
くすぐったそうに体をよじりながらも嬉しそうに顔をほころばせる未翼を見ていると、こちらも笑顔になる。
「くすぐったい」
「くすぐったがらせてるの」
唇の端に、顎に、ぷくっと膨れて赤くなっているニキビの上に、とお互いのいろいろなパーツにキスを繰り返したところで、二人で絡み合ってリビングのラグに横になる。
お互いに照れた顔を見つめ合った後、もう一度ゆっくりと唇をふれ合わせた。
快感が背中をかけ上って、息が上がるのがわかった。
「でも、朋奈ちゃんが」
もう一度、と思って唇を合わせようとした時に未翼の口から出た言葉に、私も動きを止めるしかない。
すごくデリケートな問題だった。
魅力的に成長した朋奈を、未翼が手放すことはできるはずはないだろうし、もちろん、朋奈が未翼と別れたいわけがない。
というよりも、私ではなく、朋奈がいたからこそ、今目の前にいる未翼がいるのだ。
だから、私にとって、未翼が朋奈と別れて、私とだけ関係を続けるということは、選択肢や願望として存在してもいなかった。
ただ、問題なのは私ではなく彼女の考え方や感性の問題なのだと思う。
未翼は私から離れて、先ほどの私のようにラグの上に体育座りをして、こちらを見て、逆方向を見て、を繰り返していた。
「朋奈ちゃんのこと、好きなの」
「わかってる」
「これじゃ、私もあなたと同じじゃない」
自分で自分の言ったことを否定することほど悲しいものはない。
未翼はため息をついてから、乱暴に袋の中に手を突っ込んで、掌でわしづかみにしたポテトチップを口に詰め込んだ。
バキバキというこもった音をさせながら、リスの方にほほを膨らませて、ポテトチップをかみ砕いていく。
「困る」
急にはっきりと言い渡された言葉に、私の方が縮みあがってしまう。
肩をすくめて、申し訳なさそうに座っていると、未翼がこちらに向き直って牙をむいていた。
「ほんっとうに、困ってるんだから」
「姉妹で迷惑かけてごめんなさい」
土下座したいわけではなかったけれど、自然と床に正座したまま頭を下げるとその形に落ち着いてしまった。
その滑稽さに、未翼は吹き出していた。
「本当に、そう」
べたべたに油にまみれた掌をティッシュペーパーでぬぐいとると、ペシッと私に向けてそれを投げつけてきた。
彼女はいじわるな笑顔を浮かべている。
ポテンと落ちた丸まったティッシュペーパーをゴミ箱に捨てて、私も同じようにポテトチップを掴んで口に入れた。
少し湿気始めていたのか、濃いコンソメの味が広がるのと同時に、重い歯ごたえが残る。
「魅力がありすぎる姉妹なのよ」
「そうそう、未翼にとってね」
そう言いながら脇腹をつついていると、バツが悪くなったのか、未翼の表情は戸惑いと悩みと混乱と微熱を混ぜ合わせたようなものへと変化していく。
顔を伏せて言葉を詰まらせている未翼の左隣に座って、こてんと肩に首を預ける。
リビングのソファの淵にもたれるように、二人でくっついたまま、私は耳元に口づけた。
「この、贅沢者」
私の息遣いを聴かせつけるかのように、わざとゆっくりと途切れ途切れに囁くと、未翼の顔が一気に上気したのがわかった。
もちろん、急いで立ち上がろうとするので彼女の背中側から右手を回して、右腕をがっちりとつかみ、それを妨害するのを忘れない。
そして、急に力が抜けて倒れ込む彼女を後ろから柔らかく、私の体を、その心臓の鼓動を押し付けるように掻き抱く。
「逃げないでよ」
「逃げてなんか」
「ねえ、目、閉じて」
少し意地悪をしたくなって、私は未翼の耳元で命令した。
まさしく、これは命令だった。
彼女が言っていたように、いつのまにか『支配する方が入れ替わる』というものだ。
普段のたわいもない会話を繰り返し、外を出歩いている時の未翼ならば、こんな命令どころかお願いすら受け入れるはずもない。
だけど、今きれいにスイッチは切り替わっていて、未翼は私の支配のもとにいる、らしい。
そして、それを不愉快に感じて下剋上をしようとなんて微塵も思ってもいないから、こくんとうなづいてそのままゆっくりと未翼は目を閉じた。
私は、カバンの中から少し大きめのシルクでできた黒いスカーフを取りだした。
冷えてきたときにひざかけにしたり、首に巻いたりしていたものだった。
それを対角線上にふうわりと三角形に折って、さらに幅5センチほどのネクタイ状になるように折りたたむ。
未翼に痛みを感じさせないように、あまり力を入れずに柔らかい空気をまとったままのネクタイ状になったそれを、未翼の閉じられた目の上に乗せる。
「え、何」
驚いている未翼のことを放っておいて、私はそのネクタイ状になったスカーフをきゅっと未翼の両目の上で括った。
「痛くない?」
「え、ええ」
明らかに動揺している未翼の首筋に何度かキスを落とすのを忘れないように、跡が残らないように力加減に気をつけるのも忘れないようにしながら、何度かスカーフの位置を調整する。
何度も心を整えようと息を飲む未翼の表情は、両目が隠れただけですごく扇情的なものに変化していた。
人間って不思議な生き物だと思う。
隠れている部分があるだけで、そこがどうなっているのだろうかと知りたくて胸が高鳴るのだから。
そして、隠されている部分があるだけで、何が待ち受けているのかに対して対処を打つことができなくて不安であるにも関わらず、そばにいるのが親しい人間であるとわかっているからゆえに、訪れる何かに期待せざるを得ないのだから。
「目が見えないのって、どう?」
「どうって」
「こうしたら、私じゃなくて、朋奈としてるって思える?」
未翼の手を取り、そっと手の甲を指先でかすかになでるだけで、彼女はびくんと震える。
「似てるんでしょう、私と、あの子」
そして、大きく首を振る。
「だって、いろいろ、違うから」
「例えば?」
「しゃべり方、とか」
「未翼のこと、どう呼ぶの、朋奈は」
「未翼さんって」
「じゃあ、未翼さん」
もう一度未翼の手をとり、そう言いなおしながら手の甲を先ほどとは逆方向に指先でふうっとなでる。
今度は声付きで、彼女は震えていた。
「声だって、違うし」
それはそうだと思い、少し抑えめに、声色をあたたかめに調整しながら、未翼の耳元に近づいた。
「未翼さん」
だいぶあの子の声に近いものになったと思う。さすが姉妹と言ってもらえるだろう。
思い切り朋奈になり切って、何度も彼女の名前を呼びながら、手の甲をなでまわす。
腰辺りも服の上から優しく触れ、四本の指の腹でなでる。
薄手のシャツの上から、背骨のくぼみに指先を滑らせる。
それ以外のことは全くしていないのに、未翼の声は徐々に上ずっていくのがわかった。
ぎゅっと私の服の前部分をつかんで離さない。