恋と友情
前とは違う、少し癖のあるふわふわの髪の毛が鼻を掠めて、小柄な彼女は、私の体の中にすっぽりと収まった。
「言葉とか、足りなかったのかな。そんな風に考えたこと、一度もないよ」
「ずっと、そうだと思っていたのに」
「そんな風に体と心なんて割り切れるわけないよ。未翼のことは大好き、友だちとしても、その、そういう対象としても」
「じゃあ、私とセックスしていても、他の人と付き合っていたのは何なのよ」
今だってそうでしょう?と未翼に言われても、私はそれに対してうまく答えられなかった。
「素敵だから、としか言い様がない」
「素敵だったから、他の人とも付き合っていたと」
「それ以上、何かあるのかな」
「じゃあ、やっぱり私はセフレじゃない」
私の体を急いで振り払おうとする未翼の両腕を私の体に回すように、上から押さえこんでもう一度強く抱きしめる。
このにおいや、感覚をもっと楽しんでいたかった。
細い体を抱きしめて、美しく影を落とす鎖骨のくぼみを、うっすらと筋が浮かび上がり、噛みついたらピンク色に染まる首筋も、楽しんでおきたかった。
「違うよ。私は未翼の体だけがほしいんじゃなくて、未翼の考え方が好きで、一緒にいたら楽しくて、それに、一緒にするセックスも好きだもん」
そう、これ以上はないというほど、北条未翼という女性にほれ込んでいたのは私の方だった。
高校に入ってからすぐ、同じクラスに配属になって、出席番号が前だった未翼に私はすぐに惚れ込んでいた。
いつも自身に満ち溢れていて、気高く、そしてプライドが傷つけられれば本気でどんな人に対しても怒りをぶつける彼女の、実は涙もろく、繊細な心の持ち主だというところが大好きだった。
驚くほどとろけるようなやさしい口づけを与えてくれるところが、大好きだった。
落ち込んでいる時、ただ隣にいて励ますこともなく、そっとしておいてくれるところが、大好きだった。
それだというのに、何をもってなのか、未翼は私を未翼の体だけに価値を見出している人間だと思っていたなんて。
「私以外にも、そう言ってるんでしょう?」
「そう言っているかと言われると何とも言えないけど、でも、どの人に対しても魅力的で素敵だと思うから付き合ってるんだと思う」
「相手、一人にできないの?」
呆れたような未翼の言葉と、侮蔑するような上目遣いに攻め立てられて、私は眼を見開いた。
「ああ、そこなの」
だからなのか、とようやくいろいろなことが理解できていった。
あの日、彼女に別れを告げた去年の夏の日。
私に別れを告げられても、そう、とだけ返してきた彼女に私は唖然としてしまった。
こちらとしても、100%自分の都合のみで、大好きな彼女との関係をぶち切ろうとしたのだから、罪の気持ちにさいなまれていたというのに。
だけど、彼女は私が彼女だけと付き合っていないと感じていたからそんな冷めた態度を取ってきていたのかもしれない。
というよりも、私自身が、未翼のことを体だけじゃなくそのすべてをいとしいと思っていたことを未翼自身が全く理解できていなかったところに問題があったのだと思う。
そして、結婚は破談になったのだからもう一度未翼のもとにもどろうとした、というのも、彼女にとっては私は最低の人間に映っていたに違いない。
私なんて、単に紙切れという奴隷契約がなくなれば、未翼と関係があっても、彼女自身に訴えられる恐れがなくなったという解放感でいっぱいだったのだから。
ストンといろいろなことが腑に落ちて、私はひどく疲れてしまった。
未翼を抱きしめたまま、体育座りに落ち着いて、両足の間で未翼はこちらを向いたまま膝立ちになっていた。
「確かに、いつも同時に誰かと関係、持ってたのは、そうかもしれない」
今もだし、と私は大きく息を吐いた。
「でも、私のことを好きだったの、本当なのよね」
「過去形じゃなくて、今でも好き」
「きっと、有里子はいろんな人の魅力を見つけることができて、いろんな人と関わり合いたいと思う人なのよね」
そう言われるとあまり実感は湧かない。
単に惚れっぽいだけだと罵られても返す言葉も見つからないし、浮気症と言われればそれであっさりと片付くのが私という存在、生き方なんじゃないかと思う。
でも、どんな人にも誠実でありたいと思う。
いろんな人を知ってみたいと思う。
そして、現に知ってみた結果、私はとても満たされているのだと思う。
ヨシヒロさんは子供っぽくて、セックスの時私にぎゅっと抱きしめられないと達することができないなんて笑顔いうあたりも好き。
時々ごはんに行くミチコさんは、食事のときは私にマナーのことばかり言ってうるさいし、支払いも一度もさせてくれないくせに、二人きりになるとパジャマだって一人では着てくれない、そんな甘えん坊なところが好き。
タイチくんは、一緒に浴びるほどお酒を飲んだ後、さりげなく帰りのタクシーを呼んでおいてくれるあたりが、好き。
いろんな人に、いろんな『好き』を感じていて、そのいろんな『好き』を体現したくて、付き合ったり、セックスしたり、食事をしたりしていることは、よく考えれば普通じゃないのかもしれない。
だけど、1人を1人が愛することが正しいというけれど、本当に正しいのかなんて誰も考えたこと、ないんじゃないのだろうか。
「だけど、私はそこまでオープンな人間じゃないから、有里子の行動は理解できない」
それはそうだと思う。
理解されたいとは少しだけ思うけれど、理解しろと強要することはできない。
「でも、有里子のその部分を我慢してもらったら、きっと、私が好きな有里子じゃなくなっちゃうんじゃないかとも思う。だから、例えば、私のためにもう誰とも付き合わないで、とかそういう風に言うのは簡単かもしれないけど、それを受けた有里子が変わってしまうのは、もっと嫌」
未翼の言葉はとてもあたたかかった。
今度は私からではなく、彼女の両腕が体を抱きしめる。
少しまだ、抵抗のようなものがあるのかもしれないけれど、震えながらそっとそっと、壊れそうな何かのように私を扱う未翼の表情に、私は体の芯をしびれさせていた。
「私も好き、有里子のこと」
「嬉しい」
ゆっくりと唇を重ねる。
こんなにキスだけで体中が満たされていく感触を覚えたことはなかった。
唇だけを合わせている、中学生のころには覚えていたようなキスに対して、どうしてかとてつもない快感を覚えてしまう自分がいた。
伏せていた目をゆっくりと開くと、向こうも同じように感じていてくれていたのか、私のすぐそばに、蕩けた表情の未翼がいた。
「すごく気持ちいい」
「久し振りだもんね」
最後に未翼にキスしたのは、去年の夏のあの日だった。
未翼は嫌がってはいなかった。
ただ、結婚が破談になったということを説明しても、キスをしても、彼女はずっと無表情のまま、私とは目を合わせてもくれなかった。
そして、弁解のセリフを繰り返しながら、未翼のことを抱きしめて、前と同じようにブラウスに手をかけたところで、帰宅した朋奈と鉢合わせになったのだった。