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しのめ

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「俺は嵌められた?」
「何がです」
「俺を襲ってきたアレは、此処へ誘い込むための罠だったのかいってこと」
「いいえ、アレはこの峠に住む禍津者(まがつもの)。私とは関係ありません」
 冷ややかな返答。新良はガシガシと頭を掻いて呻いた。
(嘘だな)
 冷静になって考えれば、あの異形ならこんな木戸ぐらい叩き割って入ってこられるだろう。それをしない。さらに外に逃げ出さないよう態とらしく呻いて辺りを徘徊する。これも恐らく彼女の仕業だ。先程の「去ってしまうでしょう」の言葉から察するに彼女は己を逃したくないのだろう。
 顎に手を当て無精髭を擦る新良の傍で女は椀に口を付ける。彼女は音も立てずに葉物を掻き込むと椀を床に置いた。椀の縁には霜が張ったように氷の欠片が付いていた。
「俺にとって都合のいい場所にこんな居を構えているってのも腑に落ちないが」
「偶然にございます」
 新良の疑心に女は眉一つ動かさずに嘘をつく。大したもんだ、と新良は胸中驚嘆する。
「じゃあ、もう一つ聞くけど」
 これは彼女の正体の次に重要な問いだ。
「目的はなんだい。俺をここへ誘い込んだ目的だ」
 水を飲んだのは己の意志で、疲労を癒やすため。だが、その水を飲ませて自分をこんな体質にして、家に招き入れるような真似をした意味が解らない。それを聞いた途端彼女の表情が色めき立った。それはまるで肉食の獣が餌を見つけた時のような面持ちだ。
「貴方は今まで出会った誰よりも理解が早い」
 自分の意図を汲もうとする姿勢。怯えず会話を成立させる精神。その全てが己の意に沿う相手は初めてだ、と彼女は口の端を歪ませて笑う。相貌の美しさも相まって、それは酷く気味の悪いものに見えた。
(美しくても矢張り異形か)
 畏れれば取り込まれる。新良は表情こそ変えなかったが少しだけ身動いだ。背中に嫌な汗が伝った気がするがきっと気のせいだろう。そう自身に思い込ませ改めて背筋を伸ばし彼女に向いた。
「職業柄こう言った手合には慣れたモンでね」
 脇に置いた荷箱の蓋を開け中を見せる。中には香炉やかわらけ、もぐさ、扇子、煙草、生薬など。一見は少々変わっているがただの物売りだ。だがそれらを見た女は顔を顰めて身を引いた。
「それはなんです」
 女が警戒したのは変哲のない小物ではなく、箱内の仕切壁で分けられたその奥。物売りは口角を上げて笑い、手前の小物を取り出して仕切壁を開ける。そこには札らしきものに包まれた小箱や、赤錆の付いた布に包まれた得体の知れない何かが丁重に保管されていた。漂うのは穢れた気配とそれを押し込めようとする香の匂い。女が顔をしかめた理由は恐らく後者だろう。異形の彼女に退魔の効果のあるこの香は酷く不快なもののはずだ。
「ああいやだいやだ! 早くそれをしまってくださいませ!」
 臭いものを払うように手で仰ぎ彼女は声を荒げる。それには新良も苦笑を浮かべたがこれ以上彼女の不興を買うのも宜しくないだろうと箱を元の形へと戻した。暫くは香が漂ったが、それも直ぐに霧散する。だが相変わらず彼女は酷く不服げに顔を顰めるだけだった。
 女はついと手を上げ箱を指す。
「貴方。私の夫になる方ならそれを捨てて下さいまし」
 放たれた言葉は滑稽とも言えるほど唐突なものだった。
「夫?」
 新良も思わず聞き返す。今なんと言ったのか。夫ってアレか。夫婦の男の方のやつか。寝食を共にして愛し合う関係のアレか。そう二、三度瞬きをして女を見遣れば彼女は深く頷く。
「先程貴方を捕らえた目的をお聞きになりましたでしょう」
「ああ」
「私のことを理解し、怯えず共に居てくれる夫を得る為です」
 峠を越える一人旅の男を上流の水に誘い込み、己と同じ体質へ変え人里に下りられなくしてから己の元へ取り込む。しかし、なんとも慎ましやかで堅実な女性の夢のようではないか。この恐ろしいまでの強引さが無ければ、の話だが。
「夫、ねえ」
 新良は頬を擦りながら品定めをするように女を見る。かんばせは美しく、色は悪いが白粉を塗ったかのように白い肌。誤魔化し嘘をつくことはあるが夕餉の支度をして夫の帰りを待ってくれるし、少々品の無いことを言うが胸や尻の肉付きも悪くないように見える。成る程、異形とは言え器量は良い。もしかしたら良い家庭を築けるかもしれない。そもそも、新良は異形の物を集める好事家だ。異形好きと異形女の夫婦というのも一つの形ではないだろうか。
「だがお断りだね」
 は、と短く吐き捨てかぶりを振って笑う。どうしても譲れないものがあったからだ。彼女の性格はきっと、新良のその「譲れないもの」を許さない。
 新良の言葉を聞いた途端、彼女の穏やかな表情は一転。般若のようなものへと変貌し、鋭い爪を彼へ伸ばした。
 そう来ることは新良も予測済みだったのだろう。伸ばされた彼女の手首を掴み、その勢いを利用して己の後方へと投げ飛ばす。女性相手に随分手荒な真似だが危害を加えられそうになったとあれば構ったことではない。彼は背中を打った女が体勢を立て直すより先に立上り、荷箱を持って戸口へ駆けた。
 己が立てた支え棒を蹴り外し、屋外へ飛び出す。案の定家の周りを彷徨いていたあの異形が襲いかかってきたが、咄嗟に懐から小袋を取り出して異形の頭へと投げつける。投げつけられた小袋の中からは灰色の粉が煙のように飛び散り異形と新良の間を阻んだ。
「ぎゃあああ!」
 粉を喰らって悲鳴を上げたのは影の異形ではなく女の方だ。彼女は顔を両の手で抑えてのた打ち回る。
「成る程、矢張りそちらが本体の異形か」
 異形に浴びせたのは退魔の香灰だった。先程女に異形扱いの品を見せた折、万一に備えて箱の中から抜き出したものだ。本来穢れを抑える保管用の香灰をここでぶち撒けてしまった以上、箱の中の品物はやがて穢れを放って売り物にならなくなってしまうだろう。まあ、それも致し方がない。背に腹は代えられないのだ。
 一瞬だけ足を止め振り返ったがもう後には引かず。女同様のたうち回っている影の異形を飛び越えて、宵闇に包まれた道を目指す。こうして新良は明かりの灯された居を後にした。




 時は経ちそれから四日程。
「それは災難だったね」
 あまり気の毒に思っていないけれども言葉だけは心配をするように、新良の正面に腰掛けた銀髪の鬼が冷えた甘酒を飲みながら労う。
 ここはこの世とあの世の狭間の世界。陽の光も時間も距離も狂った異形の住まう場所。そこに存在する小さな町、その居酒屋の一画で新良は人の世の小物と異形の品を交換していた。
「おいおい、ハガクレ。お前、あまり災難だったと思ってねえだろ」
「まあ、ヒトゴトだからね」
 交易の相手は新良より少し若く見える二本角を持つ鬼の青年。彼は新良の荷箱から取り出された品を手の上に取り、興味深げに眺めていた。
「で? 結局どうした。体質は戻ったのかい?」
 ハガクレは品から目を戻さずに問う。その態度に不満はあったが取り合うだけ無駄だと知っている新良は「いや」とだけ簡潔に答えを返した。
作品名:しのめ 作家名:Kの字