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しのめ

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 狭間の世界は常に薄暗いし今は夕の時間だ。それならば未だ体質の治っていない新良も出歩くことが出来る為、一見すれば平素と変わらない。だが、体は相変わらず陽の光を浴びれば骨まで溶かされるように熱く、吐く息は相も変わらず冷たい。
 あの件から峠を降りた新良は陽を避け人目を避け、兵糧丸で腹を満たしながら移動を繰り返しなんとかこの狭間の世界へ辿り着いた。その先で顔見知りであるハガクレを見つけた時は柄にもなく盛大な安堵の溜息を吐いたものだ。当然事情を知らないハガクレは気味悪そうにそんな新良を見やったわけだけれど。
「どうして治さないんだい。まさか、その女に惚れたとか?」
「冗談言うなよ。どうしたら治るのかわからねえんだよ。それに、幾ら美人だと言っても俺にだって選ぶ権利はある」
「そう? 君は美女とあればホイホイ尻を追いかけそうな性格だと思ったけど」
「心外だ!」
 大袈裟に空を仰いで否定をするがハガクレは「ふぅん」と今一つ釈然としない声を返す。そこまで新良の女性観に興味が無いのだろう。彼は視線を再び荷箱の品へと戻した。
 ハガクレが好むのは異形の品ではなく人間達が日常に使う変哲のない小物。毎度新良が持ち込むものは彼の心を躍らせる。だが、今回は少々勝手が違った。
「少し穢れが伝染っているね」
 新良が件の女から逃げる時に使った穢れ抑えの香の灰。それがない為に、異形の品だけでなく人間の品にまで害が及んでいる。まあ、この程度なら少しばかり清流で洗って日干しすれば良いのだろうが、水濡れ厳禁の品物とあってはそうもいかない。
「折角この簪が気に入ったのに」
 正絹で作られた飾りを眺めながらハガクレは口惜しそうに呟いた。まあ、人間と違って鬼であるハガクレなら穢れが付いているものを持っていたところで害はないけれど、心情的に良いものでもない。
「全く。その水を飲まなければ良かったのに。そうすればこんなことにならなかった」
「そんなこと言われてもな、まさかそんなことになるとは思わないだろ」
 それに水は命の源。致し方ないことだろう。新良は口惜しげに盛大な溜息をつく。それは酷く冷えており卓の上に小さな氷の結晶を散らしたが、頭上に並んだ提灯の光によってきらきらと輝いた後、消え入るようにして溶けていく。
「本当に。全く、だよ」
 同様にハガクレからも大きな溜息。彼は手を上げて店員を呼び、小声で何かを注文した。店員はちらりと客である人間へ目を向けたが「成る程」と小さく頷き厨房へと去っていく。
 暫くして再びやってきた店員の手元には盆、そこには少し大きな湯呑みと小鉢。店員はそれを新良の前に置くと一礼して立ち去った。
「なんだこりゃ」
 注文したのであろう鬼へと向く。問われた彼は「湯呑みの中身が熱い清酒、小鉢は砕いた塩」だと簡単に説明をした。
「新良。恐らく君が会った女は『氷死の女』という物の怪だ」
「こおりしのめ?」
「何かの理由で冬の山越えができず凍って死んだ女の亡骸さ。それが念に縛られ、禍津者として現し世に留まってしまった人ではない者。すなわち異形。その山で行き倒れたのだろう。残された念は君への言動から察するに『男への愛情』か。念に縛られ山から動けない故、通る男を見初め夫として取り込もうとしたのだろうね」
 それにしても彼女も趣味が悪い、と新良を見遣りハガクレが笑う。新良もその言葉には些か物言いたげに眉を顰めたが頬杖をついて口をへの字に曲げるに留まった。
「恐らく山そのものが氷死の女の縄張りだ。ここ一番水が欲しい時に水場へ誘い込み、己の氷の一部を口にさせることで見初めた相手を同じ体質にする。あとは異常事態に男が疲れ果てそうな頃合いを見計らい、分離させた影の物の怪で誘い込んで完了、というわけさ」
「追い込み漁かよ…」
「あながち間違いでもない。大方今まで断ったり逃げ出そうとした男は影の方に喰われてしまっただろうね」
 ハガクレはそう言うと先程運ばれてきた酒と塩を口にするよう促した。
「暑さも相まって、その体質にされてからは冷たいものしか口にしていないだろう。温かいものを飲めば彼女が残した氷の欠片もじきに溶ける」
 そして塩は清めに。
 言われ、飲み込んだ清酒は酷く熱く喉を焼くように感じた。ただ、そう感じただけで実際はそうでもなく、三度ほど口にした頃にはぬる燗程度の温度だと知る。岩塩の欠片を舐めると耳の奥でしゅわしゅわと細かい気泡が弾ける音が聞こえた気がした。
 今まで酷く冷えていた手足には熱が戻り、ありありと分かるほどに血が巡る。吐く息には最早氷の面影も無い。今ひとつ外気を感じられなかった肌も、じっとりとした夏の夕の熱を感じ始めた。
「おお…も、戻った! ありがとうな、ハガクレ! あと、ごちそうさん!」
「何を言っているの。君の支払いだよ」
「げっ」
 にこやかに礼を言う新良を一蹴し、彼は「礼はこの簪一本でいい」と言うと有無いわさずそれを懐へしまいこむ。新良は唖然と一部始終を見ていたが、反論も出来ず口を噤んで頭を抱えた。いや、どうせ売り物にならなくなってしまったものだけれど、タダ同然というのも!と唸ったが、こうして助けてくれているのも事実で、今回は従うより他無い。
「で? どうしてその女の旦那にならなかったんだい。君の趣味を考えればお似合いな相手だっただろうに」
 卓に広げられた他の品を見定めながらハガクレが先ほどの問いを繰り返す。今度は茶化す様子のない声音に新良も珍しいと目を丸くし頭を上げた。相変わらず視線は品物を眺めていたが、今彼の興味は新良の答えに有るようで、意識はしっかり人間へと向いている。
「気になるのか?」
「そうだね。好奇心だ。人間の本音と建前は時に度し難い。だからこそ君が何をもって彼女の誘いを断ったのか知りたい」
 鬼は碧色の目を細めた。
 成る程、彼ら物の怪は己の欲望に忠実で多くが自分勝手だ。だからこそ解りやすい。そんな彼らからしてみれば情や道徳で己の欲望を抑えることの有る人間の言動は些か理解に苦しむのだろう。ただし、度し難いとは言うが拒絶ではない。異形の中には新良が異形に興味をもつのと同様に人間に興味を持つ者もおり、彼らは理解しようとはしないが知識として「人間の思考」を得ようとする。例えば人間の品を好むこの眼の前の鬼のように。
「うーん、まあ。アレだ」
 新良はそう言ってガシガシと頭を掻き、気不味そうな面持ちを浮かべて荷箱を指した。
「彼女な。これを捨てろって言うんだよ」
 それは彼の趣味であり仕事でもある様々なものが詰まった箱。ある意味「新良そのもの」だ。それを捨てろだなんて冗談じゃない、と新良は笑う。
「その上、家の中に押しこめて束縛するつもりだ。きっと気が合わない」
「束縛されるのは嫌いかい?」
「こうやって自由じゃねえと好き勝手旅ができねえだろ」
「成る程」
 頷いて一言。
「君らしい答えだ」
 人間という生き物は未だ完全に理解できないが、少なくとも君の考えは理解できた。そう胸中で呟き、ハガクレは残りの甘酒を飲み干した。
作品名:しのめ 作家名:Kの字