連載小説「六連星(むつらぼし)」第81話~85話
「今朝は、普段着か。
仕方が無いな。2部式の着物に着替える余裕もなかっただろう。
トシから聞いているだろう。残念だが、もう手のほどこしようが無い。
ここまで、持ちこたえてきたのが不思議なくらいだ。
君の看病のおかげだ。良くやった。
あとは看護婦たちにまかせて、少し休め。
息を引き取るまで同席するのは、辛いものが有る・・・・」
「トシさんから、最後まで、笑顔を見せてやれと言われています。
できるかどうかは解りません。
頼まれたからには最後まで、最大限の努力をしたいと思います」
「そうか。そいつは、山本も喜ぶだろう。
枕元のテーブルの上に書きかけのノートと、ボイスレコーダーが置いてある。
おそらく、君への最後のメッセージだろう。
俺も、君の笑顔に感謝してきた。
最後まで笑顔を見せてくれるか。そうだな・・・・それはいい」
白衣のポケットから、禁煙パイプを取り出す。
杉原が慣れた仕草でそれを口に咥える。
響の肩をポンと叩いてから、スタスタと廊下を立ち去って行く。
その瞬間。階下からエレバーターが到着する。
扉が開き、俊彦と岡本の2人が出てくる。
立ち去りかけていた杉原が、2人の姿に気が付いて戻ってくる。
男たちが無言のまま、目で挨拶を交わす。
それぞれポケットに両手を突っこんだまま、3人が顔を真近に寄せ合う。
ひそひそとした声の、男たちの会話がはじまる。
(大人たち3人には、それぞれ果たすべき仕事が有る。
私にも同じように、私にしかできない大事な役目が病室の中で待っている。
山本さんに託された、約束事も残っている。
動揺している場合じゃありません。
覚悟を決めて、毅然とした態度で山本さんの最後にのぞむのよ。
さぁ行こう。・・・・響)
相変らず静かな時間が、病室の中を流れている。
点滴から薄黄色い液体が、規則正しく流れ落ちていく。
「ご苦労さま」すっかり顔なじみになった看護士が、枕元に響のための
スペースをつくってくれる。
杉原が言っていた通り。枕元のテーブルの上に書きかけのノートと、
ボイスレコーダが置いてある。
「響ちゃん。山本さんに声をかけてあげて。
鎮痛剤のせいで混濁していますが、たぶん貴方の声は聞こえると思います。
激励してあげて。いつものように。
山本さんは、いつもあなたが来るのを楽しみにしていたんだもの」
年配の看護士が、響の肩をそっと抱く。
ポンと背中を押してから、「いつもの笑顔でね」と、さらにささやく。
若い看護士2人に任せて、年配の看護士が病室を後にしていく。
「山本さん。遅くなりました。響です。
痛くないですか。どこかつらいところはないですか・・・・」
しかし次に言うべき言葉が、浮かんでこない。
毛布の上に置かれている山本の手の上に、自分の手をそっと乗せる。
骨ばかりが目立つ山本の細い指が、響の掌の下でかすかに
動いたような気がする。
手のひらの温かさに反応した、ピクリと動く小動物のような手ごたえだ。
「・・・・たしかに動いた。
生きようとして、まだ頑張っているんだ、山本さんは。
頑張って。頑張ってよ。山本さん・・・・
八木節踊が始まったら一緒に行こうって、わたし約束したじゃないの。
もう少し頑張れば、夏祭りがはじまるというのに・・・
ねぇぇ、お願いだからわたしのために、もう少しだけでいいから、
頑張って・・・・」
(82)話につづく
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第81話~85話 作家名:落合順平