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LISBOA 記憶の欠片 後編(11月8日完結)

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「そうだな…」
「あの人ね、十年前?誓と一度別れたけど、それからもずっと誓のことだけが好きだったって。忘れようとしても無理だったって…泣いてたわよ。男のくせにぼろぼろ泣いて…」
「瞠が…十年前からずっと…?」
「知らなかったんだ。ほんと最低な人…」
 自分の言葉に片岡が驚いていることに、ついにエリは険しい顔を崩して苦笑いしてしまった。
「それでも私、誓のことが好きだったわよ。本当に結婚したかった…今となったら微妙だけど」
 ずっと厳しかったエリの眼差しが、ふっと緩んだ。
「だけど…あの人ほどじゃなかったかな」
 負けたわ。卯藤瞠に…。十年も別れた男を想い続けるなんて私には想像もつかないし、彼が片岡と再会できたのも運が良かったと言うしかない。
「卯藤さん…死ぬほど誓のことが好きみたい…ていうか、誓がいなくなったら本当に死んじゃうかも。だから」
 エリは何かまるで、覚悟を決めるようにゆっくりと息を吐いた。
「だから…彼を追いかけてあげて。私は…日本に帰る」
「エリ…」
「早く行って!」
 片岡は頷いた。
「ああ、そうする」
 そしてその場から去ろうとしたが、もう一度足を止めエリを振り返った。
「エリ…こんなことを言ったら、また平手打ちを食らうかもしれないが」
 最後に、一つだけ彼女に伝えたいことがあったからだ。
「それでも、俺も君のことが好きだった。リスボンに来てから、俺は時々想像することがあった。君と家庭を持って、子供ができて…とか…」
「…」
「そんなふうに想像するときは、本当に幸せな気分になれた」
 だけど、瞠への想いがそれを上回ってしまったのだ。もし彼と再び会う事がなかったら…それこそ考えても仕方のないことだ。
 エリは無言で片岡を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「…元気で」
 片岡はそう言い残すと、通りに向かって去って行った。

「あのバカ…どうして…」
 片岡が去った後、ぽつりとエリが呟いた。
「何で最後に…そんなこと言うのよ…」
 彼の前では絶対に見せないと、ずっと堪えていた涙が一気に溢れ出した。 
 それでも、とエリは思う。彼からあの言葉を聞けたお陰で、少なくともこのリスボンの街を嫌いにならずに去って行ける気がする。
 はじめはつまらない街だと思っていたけど…今は好きになりかけていたから。やがて去る場所も、失ってしまったものも…私はそれらを決して嫌いになりたくはない。
「それにしても、男と、男をめぐって三角関係なんて…滅多にない経験をさせて貰ったわよ…」

 片岡は次第に、路地を抜ける足を早めた。卯藤はもう、店に戻っているだろうか?どうしても今すぐ彼に会って、自分の想いを伝えたかった。展望台から彼の店までは歩ける距離だが、確か少し時間がかかるはずだ。下手に近道をしようとすると迷いそうだったので、トラムの線路に沿って歩いた。向かってまっすぐの通りの向こうから、かすかに物音が聞こえてくる。トラムが来たのだと片岡は気づき、安全を確保するために道の端へ寄った。やがて、道の突き当たりの角から黄色いトラムがその車体を覗かせた。そのまま近づいてくるのを特に気にする事なくそのまま歩いていた片岡の目の前で、誰かがふっと道を横切ろうとした。
 その人影の姿形には見覚えがあった。そしてトラムが…
「瞠…!」
 咄嗟に身体が動いた。手にしていたタブレットを放り出してトラムの線路に飛び込み、その人影をさらうように抱きかかえ、道の反対側へ転がり出た。その弾みで道路脇の家の壁に激しく激突する。
「つ…う」
 片岡は呻くと、壁の前に半ば倒れるようにうずくまった。卯藤の方は何が起こったのか理解できていないらしく、道路の石畳の上にへたりこんで呆然としていたが、落とした視線の先に倒れている男が片岡だと気づいた途端、悲鳴に近い声をあげて彼を揺り起こそうとした。だが手ががくがくと震えて、まともに触れることもできなかった。
「誓…!おい…返事をしろ…」
 片岡は苦痛に眉を寄せているが、卯藤の声に応答しない。
「頼む…何か言って…誓……」
「…」
 片岡の唇が僅かに動いた。そして、ようやく目を開けた。
「瞠…無事か」
「俺じゃなくて…お前はどうなんだ!」
「大丈夫だ…」
「だって、壁にぶつかって…」
「ああ、ちょっと背中が当たったけど…多分ただの打ち身だ。何も嫌な感じの痛みはない」
 片岡は卯藤を安心させるように笑いかけると、ゆっくりと身体を起こした。
「ほら、手も足も問題ない…いてっ」
「バカ!無理するな」
 卯藤に肩を借りて、片岡は立ち上がった。背中を少し強く打ったようだが、分厚いウールメルトンのコートの下にジャケットまで着ているお陰で、背骨などには影響がなかったようだ。
「それよりお前…何やってたんだ。危うくトラムに轢かれるところだったんだぞ?死ぬ気か!」
 今度は片岡が卯藤に聞き返した。
「…俺は…」
 あの時、どうにも耐えられなくなって、三上エリの前から思わず走り去ってしまった。店に戻る事も忘れて、アルファマの路地階段を宛てもなく彷徨って…
 もしかしたら、死にたいと思っていたかもしれない。
「…ごめん…」
 卯藤は両手で顔を覆った。
 だけど、そのせいで危うく片岡まで死なせるところだった。自分はどこまで…彼らの邪魔をしてしまうのか…
「俺こそすまない…謝るのは、お前じゃないよ…」
 片岡は宥めるように、卯藤の肩を抱き寄せようとしたが、それに気づいた卯藤はやんわりと片岡の腕を押し戻した。そして片岡が落としたタブレットの入ったソフトケースを拾いに行く。
「その背中…きっと炎症起こすぞ」
「そうかな」
「店まで来たら?保冷枕を貸すよ。一応冷やした方がいい」
 二人は連れ立って、ゆっくり歩いた。その道すがら…二人の間に一切会話はなかった。

 片岡は店のテーブルにうつぶせて保冷枕を使おうとしたが、背中を丸めると痛みが増して上手くいかなかった。見かねた卯藤が自分の部屋のベッドを使っていいと言ったので、片岡は合鍵を借りて、店の二階にある卯藤の部屋へ一人で上がった。卯藤はこの時間も接客や一日で最後の菓子作り等でとても忙しそうだったからだ。
 枕を背に当ててベッドに寝転がると、急に身体がだるくなるのを感じた。背中の痛みばかりが原因ではなく、今までの疲れがたまっていたからだろう。実際、保冷枕はさほど効果がなさそうだったので脇によけて、片岡は横になったまま携帯していたスマートフォンで事務所に一人置いてきてしまったスタッフに電話をかけた。ホテルの予定地を見に来て階段で転んで背中を痛めたから、近くの知り合いのカフェで様子見をしている、と若干嘘の混じった言い訳をして、定時になったら勝手に事務所を閉めて帰宅するよう指示をした。などと言ったら今すぐ帰ってしまわれそうだが、自分も今日は殆ど仕事をさぼっているのでお互い様だ。
 電話を終えると、今度は強い眠気に襲われた。多分緊張が解けてきた証拠だろう。
 もう、すっかり開き直った。卯藤が仕事を終えて様子を見にきたら、自分の気持ちを洗いざらい話す。それでも彼に拒まれたらその時は…
その時に考えよう…


 一体どれだけ眠っていたのか?