犬と探偵たち(仮)
一方――ちょうどこの時、逃亡者の存在に気づいた男がいた。チャドが牢屋地区に見回りに来ていたのだ。そして慌てた様子でジャスティスの執務室に飛び込むと、壁にあるレバーを一気に降ろした。
ゴゴゴ……。
鈍い音と共に、屋敷の主な出入り口に重い鉄の扉が降りて行く。そう、この瞬間より、屋敷はいわゆる要塞と化したのだ。もう鍵などは役にたたないだろう。
そう、今や三人と一匹、それに名探偵と傷ついた少女は、この広い屋敷に閉じ込められてしまったのだった。
第十五章
「これでよし、と。どうやら間に合ったようですね。ですが、もう一つ気になる事があります」
食事の後、牢屋を見に行ったせむし男ことチャドが慌ててジャスティスの部屋に飛び込んで来ると、まっすぐ壁のレバーを降ろした。
「何を慌てているんだ。まあいい、何があった?」
食後の葉巻の口を丁寧に切りながら、ジャスティスは豪華な椅子にふんぞり返っている。
「のちに実験に使う少女三人が脱獄したようです。気になる事を言うのは、教官役のあの男が首輪をつけた犬を庭で見たようです。もしかしたら誰かが脱獄を手引きした可能性もあります。そしてまずい事に、更に看守の姿も見えません」
「なに、看守もだと? まさか……。念のため宝物庫も見て来てくれ。あの男、前から少し信用ができなかったんだ。あと」
「何でしょうか」
「一応『使者』を放ってくれ。今回の命令はこうだ。『逃亡者と侵入者を捕まえて、私の前に連れてこい』とな」
かつて、この幽霊屋敷と言われている場所に忍び込んだ者などいなかった。ジャスティスはどんなヤツが侵入したのか、その顔を直接見てみたかったのかもしれない。
「承知しました」
そう答えた後、チャドはその格好から想像できないような素早さで部屋を出て行った。
一方、ロイとアンジェリカは牢獄エリアに差し掛かっていた。今のところ看守の姿は無い。少し歩くと、牢獄の中のひとつに小さな子供たちが入れられているのを発見する。
「大丈夫かい? いまからそっちへ行くからね」
ロイの手に、開錠に適した針金のようなものが魔法のように現れた。ものの数秒で鍵が開く。
「おじさん、誰?」
少し怯えた顔で一番近くにいた女の子が質問した。
「おじさんって……。ボクはまだおじさんって呼ばれる年じゃないんだけどなあ。いいかい、ボクは君たちを助けに来た者だ」
「本当? ありがとう!」
モカよりも三つほど下と思われるその女の子の顔に、ぱあっと笑顔が広がって行く。
「そこでちょっと聞きたいんだが、君たちの他にも捕まっていた子供はいたのかい?」
「そうね、さっきその廊下から女の子の声が聞こえたわ。どこかに連れてかれたのかもしれない。でも、看守の足音が全く聞こえなかったのがヘンよね」
他の二人に同意を求めたが、彼女たちは依然恐怖に怯えた眼でロイを見ている。この場所でよほど怖い目にあってきたのだろう。
そのとき他の房を見てきたアンジェリカが、ドアをくぐりロイに近づいて来た。
「どうだ、いたか?」
「いないわ。他の房はからっぽ。もちろん私の入っていた房もね。でも、看守もいないってのは何かおかしいなあ。私たちがこのエリアに入って来てからもう十分は経ちますよね。今の時間に全く看守が見回って来ないってことは何かが起こったとしか思えない」
顎に手を当てて小首を傾げる。そう、彼女もここに囚われていたのだから見回り時間については把握しているに違いない。
「なるほど。では考えられるのは……。モカ、あいつやったな? さすが私の助手だ」
ニヤリと笑うとさっき外したドアの錠に目を走らせる。
「よし、どうやら今の状況では君たちはここに居たほうが安全だ。しばらくここでじっとしていてくれ。後で必ず助けに戻るから」
その力強い言葉に少女たちは頷く。その眼には入って来る前と違い、希望の光が宿っているように見えた。
ロイは元通り鍵を掛けると、アンジェリカを連れて牢獄エリアから出た。慎重に歩を進め、やがて吹き抜けの広間に辿り着く。そこから見上げると、二階と三階がいっぺんに見渡せる。
「ちょっと待て。あれは?」
吹き抜けの二階の階段を降りてくる二人の少年が見えた。その手には鉄でできた大きな斧のようなものが握られているように見える。
「ずいぶんと物騒なモン持ってるなあ。あんなので襲われたらひとたまりもない。しかし……。あの少年たちの眼が何かに憑りつかれているように見えるのは気のせいかな」
「そうですね、何か焦点が定まっていないみたい」
そうしている間にもロイたちの隠れている物陰に彼らはゆっくりと近づいて来る。
「このままやりすごそう。じっとしててくれ」
太い柱の蔭に息を潜めて、少年たちが通り過ぎるのを待つ。柔らかい絨毯が敷いてあるので足音はしないようだったが、少し荒い息遣いが隠れている柱越しに聞こえて来る。しばらくすると、幸いなことにロイたちに気づかずに彼らは遠ざかって行った。
「よし、行くぞ。目指すは実験室だ。電気を供給している機械を破壊すれば当面は狂った実験を中止できるはず。もしかしたら、モカもそこにいるかもしれない」
外はまだ雷が鳴り、嵐のような雨が建物に叩きつける音がする。そのおかげで多少なりとも二人の気配はかき消されているようだ。
ウウー! ワンワンワン!
その時、雨の音に混じって犬の唸る声が聞こえてきた。しばらく吠えていたが、最後に何かで殴られたような鋭い悲鳴と共にそれきり何も聞こえなくなった。
「今のは……ナタリーか?」
その声は三階の方から聞こえてきたようだ。唇を噛みしめたロイは焦る心を押さえているような表情で三階へ続く階段を上って行った。
第十六章
出口を求め彷徨っているうちに、モカたちは『実験室』とかかれたドアを見つけた。
「あのままだったら、ここで私たちはモルモットにされていたかもしれないのよね」
震えた声でレイチェルがつぶやいた。
「そうね、でもここでこの部屋を見つけたのは何かの縁だわ。ついでだから、ここにある実験用の機械を壊しちゃいましょうよ。今までの子供たちの恨みを晴らすいい機会だわ」
モカのその突飛なセリフを聞いて、二人は「信じられない!」という表情を浮かべる。
「だめよ、そんなことよりも出口を」
「行くわよ、ついて来て!」
激しい怒りに肩をそびやかしながらドアをくぐるモカに、いま反論できる者など誰もいなかった。あとの二人はモカの行動力に舌を巻いた様な表情で後ろについて行く。
その実験室にはベッドが二つ置かれ、枕元に電極のようなものが置いてあった。その線をたどると、発電機に行き当たる。ワゴンの上にある銀のトレーには、まだ血のついたままのメスや鉗子、他にもおどろどろしい器具がそのまま放置されている。
「見て、あの壁の絵。人間の頭の中かしら。気味が悪いわねえ」
眉間に皺を寄せながらベロニカが吐き捨てるようにつぶやく。しかしモカはその絵では無く、机の上にある書類を手にとって興味深そうに読んでいる。
「ねえ、この指示書みたいなものに『前頭葉を切り離してから』って書いてあるわね。他にも何か無いかしら」