犬と探偵たち(仮)
ロイを先頭に穴をくぐると、そこは墓地のようであった。しかし数多くの土が盛られてはいたが、そこには墓標すら無い。もしかしたら、その下には惨たらしく殺された数多くの子供たちが眠っているのかもしれない。
足音を殺しながら洋館の裏手に二人と一匹が辿り着く。中からは夕飯の匂いだろうか、肉の焼ける香ばしい香りが漂ってくる。
「おなかすいたよね。あんたも空いたでしょ?」
ロイたちを守るように耳を立てて警戒しているナタリーにアンジェリカはそっと問いかけた。
「しっ、誰か来るぞ!」
その瞬間に裏手のドアが音をたてて開く。一行は素早く茂みに身を隠すとそこから様子を伺う。
すぐにせむしの男がカゴを手に持って出てきた。庭に栽培しているハーブだろうか、草のようなものをカゴに次々に放り込んでいく。夕飯の材料に香草を使うのかもしれない。ちらっとロイたちの方を見た様なそぶりはあったが、しばらくして家の中に引っ込んで行く。
「かはっ! あ、あの人……。あの人が私を手術台に縛り付けたの! その時、私見ちゃったのよ。私の前に連れて行かれた男の子が、血まみれで手足だけをぴくぴく動かしながら運ばれていくところを」
急に過呼吸になったようにアンジェリカが苦しそうに胸を押さえて蹲る。
「かわいそうに。ひとつ聞くが、その時他に誰かいなかったかい?」
「そのモカって子のこと? 女の子は見なかったわ。でもその子はたぶん、まだ生きていると思う。私が連れて行かれる時に、途中の部屋から姉さんの声に混じって女の子たちのひそひそ声がしていたから」
「そうか、それは良かった。でも聞きたいことはそれじゃない。その手術室には他に誰かいなかった?」
少し安心した様子でロイが聞き返す。
「――いたわ。凄く残酷な目をした背の高い男が。その男に私は電流を流されたのよ! 意識が遠のく中でそいつの顔を見たら……。あの男! 笑ってたわ。それも心から楽しそうに」
押し殺したような震え声があたりの闇に溶け込んでいく。
「なるほど、最低でも二人はこの中にいるわけだな。おっと、また誰か来たぞ」
後ろを振り返ると、遠くの方で掛け声が聞こえる。
「整列! そこ列を乱すんじゃない!」
男の野太い声が響くと同時に、パシュっと空気を切り裂くような音が聞こえて来る。そこからは顔は見えなかったが、どうやら軍隊式の訓練を月明かりの下で行っているようだ。体格のいい大男に向かい合うようにして、半ダースほどの小さな男の子たちが整列している。
「いいか? お前たちは選ばれた戦士なんだ。痛みも恐怖も感じない。おまえ、今のムチは痛かったか?」
「いえ大佐、痛くないです!」
カルトな軍隊のようなやりとりがしばらく続く中、じっと茂みに身を伏せていたロイが独り言のように呟いた。
「なるほどな、これがこの屋敷の目的か。男の子は戦士に。では……女の子は?」
複数の足音が、だんだんロイたちに迫って来ていた。少年戦士たちがマラソンを始めたのだろうか、掛け声も出さずにまっすぐこちらに向かって来る。
「ナタリー、やっとおまえの出番がきたようだ。走り回ってヤツらの注意を引いてくれ。行け!」
ナタリーは一度身体をぶるっと震わせると、次の刹那、地面を蹴って金色の矢のようにその集団の前に飛び出て行く。
「おい、なんだあの犬は! 捕まえろ!」
大佐の怒号が響くと同時に、少年たちは人間とは思えないようなスピードでナタリーを追って加速を始めた。
「頼むぞ、ナタリー。絶対に捕まるなよ」
さっきまでは綺麗な月夜だったが、空は曇り急に生ぬるい風が吹き出した。もうすぐ一雨来そうな雰囲気だ。小さなアンジェリカの手を引きながら、ロイはさっきせむし男の出てきたドアをそっと開ける。
この瞬間、モカ、そして子供たちの救出作戦が幕を開けた。
第十一章
「今よ! 私について来て」
廊下にはいま、人の気配は無いようだった。モカに続き、小さな影が寄り添うように二つ続く。
「モカお姉ちゃん。私こわいよ」
レイチェルはモカの服の裾を握って離さない。その原因は、どこに続いているのかも分からない暗くじめじめした廊下のせいかもしれないが、もしかしたら――二つ隣の部屋から漏れてくる小さなすすり泣きの声のせいだったかもしれない。
「大丈夫、私にまかせといて。あ、ベロニカは何か武器になりそうなものを探してね」
「武器って言われても……。ねえ、あれはどうかしら?」
彼女が小走りに持って来たものは、壁に立てかけてあったモップだった。
「うーん、まあ無いよりはましね。それでレイチェルを守ってあげて。――ちょっとストップ!」
その時、少し離れた曲がり角から、コツ、コツ、コツと足音が聞こえてきた。それは看守が履いているブーツの音によく似ていた。
「ベロニカ、レイチェル! そこに隠れて」
歯の隙間から息を吐くような鋭い声でモカが指示する。モップを元あった場所にあわてて戻したベロニカの眼は大きく見開かれている。
かび臭い廊下には身を隠す所は一つしかなかった。それは食べ終わった食器を乗せてある大人の腰の高さほどのワゴンだ。三人は足音を殺しながら身体をその下に滑り込ませた。おそらく、ワゴンにかかった汚れた大きな布が上手く身体を隠してくれるとモカは読んだのだろう。
(逆に曲がって、お願い!)
モカのその願いも空しく、曲がり角を曲がった足音が更に近づきついにワゴンの前で止まった。マッチを擦る音と共に煙草の香りが漂い、そのまま長い時間と沈黙が流れる。
絶対に動かないでという風にモカは二人に眼でうながす。二人がわずかに頷くと、行き場を無くした子羊たちは時がすぎるのをひたすら待った。レイチェルは小さな拳を口に当て、青ざめた顔で小刻みに震えている。
「あーあ! 今日も夜勤かあ。もうこんな仕事やめてえな。たまには子供たちとも遊んでやらねえと」
やはり、いつものあの看守の声だ。あまりにも近いその大声に三人は肩をびくっと震わせる。
「――おまえたちもそうは思わないか?」
「ひっ!」
レイチェルの短い悲鳴が廊下に響くと同時に、ベロニカがワゴンの天井に頭をぶつけながら後ずさる。心臓が口から飛び出しそうな顔をしている三人は、さながら蛇に睨まれた蛙のようだ。
だが、屈みながら布を捲りあげ顔を覗かせた看守の顔には、その場にそぐわないような優しい笑みがゆっくりと広がっていく。
「どうやって鍵を開けたのかは聞かないが、おまえらがここにいるって事は……やっぱり神様がこの仕事を辞めろと言っているのかもしれないなあ」
「えっ?」
予想もしていなかった看守の態度に面食らったように、モカは怪訝な顔を作った。怒号と共にすぐ房に戻されると予想していたのだろう。だが、看守の伸ばした手をとって立ち上がるとその表情が少しだけ緩んで行く。