犬と探偵たち(仮)
戦士に改造された男の子は他国の軍隊に高値で売られて行った。だが問題も残されていた。成長するにつれその凶暴さは私設軍隊ごときでは扱いきれぬほどになり、その戦闘能力は素晴らしかったが、数年で雇い主から返却されてしまうのだ。
今も改良に改良を重ねる必要に迫られ、毎日のように実験が繰り返されていた。ジャスティスと言うこの男の快楽と金儲けのために、次々に街から少年少女が消えて行くのだ。
「旦那様、男の子はこれで最後です。明日にはまた調達しなければなりませんね」
鎖で繋がれ、怯えた目をかっと見開いている男の子を引きずりながらチャドが入って来た。
「なに? うっかり今日はそんなに殺してしまったのか。では今夜は女の子の手術にとりかかるとしよう」
うつ伏せでベッドに手足を拘束された男の子を見下ろしながら、唇を吊り上げる。
「承知いたしました。そうそう、今朝捕まえた女の子は活きが良さそうなので非常に楽しみですね」
チャドも舌なめずりしながら、診察台の横の銀皿からメスを取り上げる。ジャスティスは慣れた仕草で電極や手足に繋いでいく。
「首の後ろにメスを入れすぎるなよ。出血でショック死されたら困る」
「はい、気をつけます」
こうして、男たちの狂った実験は午後も休みなく続いて行った。
日も暮れかけた頃、洋館の周りで人影が動いた。ロイは夕方まで屋敷を観察していたが、突破口はまだ見つからなかった。正面には頑丈な鉄の門がそびえ立ち、屋敷の周りには高い壁が行く手を塞いでいる。何か考えがあっての事なのだろうか、まだ彼は警部を呼びに行かせていないようだ。
「困ったな。警部が応援を連れて来たとしても、現在の所なにも証拠が無い。つまり“法的には”踏み込むことができないんだ。っておまえに言っても分からないよな」
地面に伏せたままのナタリーは、その間利口そうな瞳でロイの動く口元をじっと見つめていた。
「だけどね、ナタリー。あくまで法的には侵入できなけど、中には大切な助手が監禁されている。つまり日が暮れたら……。ボクたちは法を犯すぞ」
ロイの整った横顔にちょうど西日が当たり、その決意の表れか彼の唇は固く結ばれている。
「もう誰も、大切な人を傷つけるもんか」
呟くように白い息を吐くと、その長い指でナタリーの頭を優しく撫でた。
第七章
その頃、洋館の地下室では、少年にしては身体の大きな生き物が檻の中を歩き回っていた。
「うう……。うが!」
思い出したように時々凄い勢いで鉄格子に体当たりしている。わずかな光に照らされたその少年の顔は憎しみに歪んでいるようだった。同時に地下と地上を遮っている扉が耳障りな音を出して開く。
「ほおら、メシだぞ。おっと、なんてこった! おいおい、鉄格子が少し歪み始めてるじゃないか」
手に持ったトレーを恐る恐る差し入れると、言葉とは裏腹にジャスティスはみるみる笑顔になっていく。頑丈な鉄格子を白い指でそっとなでると、最高傑作といってはばからない自分の作品を遠巻きに眺める。脳への電流刺激による急激な成長ホルモンの分泌のせいか、隆々とした筋肉を持つモンクと名付けられた怪物は、その視線を避けるように背中を見せてがつがつと肉のかたまりに食らいついていた。
「おまえのような著しい進化、そう、進化だなこれは。その結果、何者も恐れず、人間離れしたスピードと怪力で相手を倒す。――まだ待ってろよ、いずれ地下闘技場にデビューさせて思いっきり暴れさせてやるからな」
モンクは腹がいっぱいになって少し落ち着いたのか、きょとんとした眼でジャスティスの話を聞いている。一部の人間しか知らなかったが、ロウワー地区の地下には高額の賞金が懸かった闇の地下闘技場がある。国中から集まった腕自慢がここで命を懸けた対決をし、勝者には大金が与えられた。当然、闘技場自体の売り上げも莫大なものになっていた。そして、それを仕切っているのはアッパー地区の貴族という噂だった。
おあつらえ向きに『闘争本能』というものを極限まで高められたモンクは、もはや人間とは呼べないものに変化していた。だがそこで勝ち続ければ、莫大な賞金、つまり研究費が永続的にこの男の手に入るのだ。
「旦那様、こちらでしたか。夕食の支度ができました。お食事が終わり次第、女の子の方の準備にかかります」
ドアを開けうやうやしく頭を下げたチャドが去っていくと、ジャスティスはもう一度モンクを見つめながら口を開いた。
「おまえだけは何があってもどこにも売らんから心配するな。……唯一残った私の息子なのだから」
息子を化け物に改造するこの男の考えていることは誰にも分からない。この男、ジャスティスには三人の息子がいた。あと二人の息子たちは、果たしてどこに行ったのだろうか。
一方モカたちの閉じ込められている監房からは、押し殺したようなすすり泣きの声が漏れていた。その声の主はもちろん一番年下の泣き虫レイチェルだ。
「看守がさっき言ってたわよね。『今夜でおまえたちの顔を見るのは最後になるだろうから、特別にリンゴを持って来てやったぞ』って」
手の甲で涙を拭きとりながらレイチェルは首をいやいやするように振る。
「少し落ち着きなさいよ。まだ死ぬって決まった訳じゃないでしょ?」
自慢の赤毛を髪留めで後ろに一つにまとめながら、ベロニカが彼女をたしなめた。
「だって……。ねえ、モカお姉ちゃんもそう思うでしょ?」
わずかな間に、一番小さなレイチェルはモカをお姉ちゃんと呼んでいた。
「うーん。そうねえ、どうかしら」
それに答えるモカはなぜか上の空だった。その眼はじっとベロニカの髪留めに注がれている。
「ねえ、ベロニカ。その髪留めの細工の部分って……。真鍮かなんかで出来ているわよね」
「ええ。ちょっと複雑な蝶の形をしているけど、簡単に外れるわ。それがどうしたの?」
にまっと笑うとベロニカに歩み寄り、まとめた髪からそれを慎重に外す。
「ちょっとこれ借りるわね。実は私、私立探偵の助手をしているの。ボスはロイって人なんだけど、ヒマな時間があるとよくこうして鍵の作り方と開け方を教えてくれたわ。幸いなことに、外側から南京錠がかかっているわけじゃない。だからここをこうすると」
かちっ!
五分ほどで小気味の良い音が室内に響く。
「お姉ちゃん、すごーい! まるで手品師みたいだね」
レイチェルは目をまんまるに開けて驚いている。
「問題はここからよ。たとえ扉の外に出れたとしても、一体そこには何があるのかが分からない。ただ……」
「ただ、どうしたの?」
「さっき言ったロイ先生はとても優秀な探偵なの。だから必ずもう動きだしていると思う。ひょっとしてもうここを突き止めているかもしれない。だから必要なのは先生に合図を出すこと」
「合図?」
口をそろえて二人は聞き返す。
「そう、合図。私、いや私たちが『ここにいる』って合図よ。それに、先生はきっとナタリーと一緒だから」
「ナタリーって何か優秀な探偵助手の名前みたいね」
さっきまで泣いていたレイチェルもやっと相好を崩す。
「優秀なのはあ、た、し。ナタリーはね、とっても利口なシェルティー犬なの。あの子ならきっと匂いで私を追跡してくれるはずよ」