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みやこたまち
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そののちのこと(口頭試問)

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よっつめ



 男はそう言いながら、もう一組の安楽椅子を持ち出し、女と頭を突き合わせるように、テラス扉の方へ足を向けて横たわった。部屋の中央を見上げると、漆喰塗りの天蓋が青白く見えた。ひんやりとした冷気が降りてきて、男の額を撫でた。
 「西瓜を持っていったのは、二度目の夏の最中のこと。あの人に叱られたのも、二度目の夏の最中のこと。あの人が消えてしまったのも、二度目の夏の最中のこと」
 「順序良く話してみてくれないか」
 男は胸ポケットからタバコを取り出し傍らのサイドテーブルの上にある集光式のライターで火をつけた。煙はゆるい螺旋を描きながら、まっすぐにドームの頂点付近に立ち上り、そして周壁に沿って同心円を描いた。
 「最初の夏、私はあの人の視線を知った。何時でもあの人の視線を感じずに入られなかった。恐ろしかった」
 「愛されたのだね」
 「私には分からなかった。それが愛だという事が私には分からなかった」
 天井の青い帳に、その男の視線が浮かぶ。仰向けの男は静かにその男を見守る。
 『君は、そのままでは壊れてしまうだろう』
 『君は、なぜ、君自身を正当に評価しようとしないのだい』
 『君の内部で、押し込められた数々の感情が腐臭を放っているのが分かる』
 『君は内部からほどけてしまう』
 『君はなぜ、そんなに冷たい体をしているのだい。それでは誰一人として君を求めようとはしないだろう』
 「その男が私にそう言った」
 「あの人は私を見つめ続けていました。半年の間、あの人の視線は私の全てを凝視し続けていました。私はその視線が、服を透かして、肉を透かして、精神のその奥にまで届いているのを感じることが出来ました。私はそのことに気付いたとき、体中が震え初めて、体中の関節が音を立てて外れてしまったかのような衝撃を受けました。私は立っていることが出来ませんでした。風の粒子が私の肌を渡っただけで、私は悲鳴をあげたいほどの恐怖を感じました。私は、自分の体にどれだけ力を入れていたのかを始めて知らされました」
 「ゆっくりとでいい。僕は君を理解できる。君は僕を信頼できるかい」
 「信頼?」
 男が眉をひそめた。煙をぷぅ−と吹き付けると、男は白い煤の中にぼやけた。
 「君にはその男が信頼できたのかい」
 「私には選ぶことなど出来なかった。私はあの人に縋るしかなかった」
 「なぜ、そう思うのだい」
 「私はもう、一人で生きることが恐ろしくてたまらなかった。もう、殺されることで生き長らえる生活に耐えられなかった」
 「順序良く話してみてくれないかい」
 男は安楽椅子から起き上がり、うつ伏せになると女の方へ体をずらした。男は女の上を蛞蝓の這い、女の腹が男の腹と重なったところで、180度体を回し、女の脇に腕を入れ、女の腿を自分の腿で挟んだ。女は息苦しさのためにしばらくもがいていたが、やがて体から力が抜けた。
 「夢を見たの」
 「級友の夢だったね」
 「級友はいないの」
 「本当のことを言ってごらん」
 手首のベルトをはずすと、女の腕がバネ仕掛けのように跳ね上がり、男に巻きついた。
 「本当のことを言ってごらん」
 「いないの。あのクラスにはいないの」
 「級友がいないのかい?」
 「違うの。いないの。私がいないの」
 「詳しく話してみてくれないか」
 女の耳に口をつけて男がそっと囁く。女は天井を見上げたままかすかに頷く。
 「私は手を挙げるけれども誰も注目してはくれなかった。私は話したけれども誰も聞いてはくれなかった。私は倒れたけれども誰も助け起こしてはくれなかった」
 「君は存在しなかった」
 「私は認めて欲しかった」
 女の目に無念の涙が光っている。それは頬を越えて耳に流れ込み、男の唇を湿らせる。男は女が泣いている事に気付き、涙の流れを遡って唇を這わせる。
 「叫ぶものが皆、声を持っているとは限らない。立ち上がる者が皆、足を持っているとは限らない。大きく手を振るものが皆、旗を持っているとは限らない」
 「私を責めないで。私は本当の孤独を良く知っている」
 「詳しく話してみてくれないか」
 涙を遡る男の舌が女の眼球に達する。眉間を渡って鼻梁を下る。男の舌は女の唇へ向かっている。室内の空気が一瞬震え、白い靄のようなものに満たされる。靄には様々な人間が投影され、あたかも周囲を群集が取り巻いているかのような錯覚を起こさせる。
 男は体が宙に浮くような感覚に襲われた。それはこれまで密着していた女の体の消失によるものだった。自分の周囲にはただ白い靄だけがあり、縦に、横に、群集が往来していた。
 「これは孤独ではない」
 男はそう呟く。眼前の靄から女がにじみ出てくる。悔しさを隠さない表情に、男はそっと接吻をする。
 「孤独を説明することなんて出来ない。瓶詰めになりながら、見世物小屋にすら置いてもらえない可哀想な道化の子は好奇の目にさらされることさえなく空家の裏口に放っておかれた。空っぽの牛乳瓶と一列に並べられて」
 「君は泣いた」
 「私は泣き尽くした」
 「君はつまらない人間だった」
 「私は認めなければならなかった」
 行き交う人のなかで立ち尽くす女の姿を見つめる者に、群集の姿は蠢く背景に過ぎなかった。群集を見つめる者にとって、女は一瞬で消滅した。男は遥か上空から、女を取り巻く人々の温度を感じていた。