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みやこたまち
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そののちのこと(口頭試問)

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みっつめ



 ぼそぼそとした革がかすかに匂い立つ。締め切られた部屋の外は薫風そよぐ春。地中より萌え出ずる、若草がびっしりと頭をもたげる。ある物は種子を被り、ある物は水滴の重みをはねのけて。黒い土は甘く、若草は柔らかな根を精一杯張った。いさかいが始まる。生きるための戦いは、見えないところでこそ熾烈を極める。風になぶられる千切れそうな白い茎の下では、自分だけを生かすための戦いが行われている。かすかに白い歯をみせる女の腕が、時折引つれたように硬直し、革のベルトを軋ませる。ざわざわとした庭の、その地中のざわめきが、女の脳髄を震わせる。頭蓋の内部のゆるい振動が、脳味噌に痒みにもにた不快感を与え続ける。生きるための、見栄も外聞も無い戦いの最中、理性の内側をかすかに刺激されている女がいる。
 「夢を見たね?」
 「友達はいないの」
 男の座るパイプ椅子が、ギチギチと鳴る。開かれた足が、五本目、六本目の脚として、椅子を支えている。立ち上がると倒れる椅子。男は修行のようにその椅子に腰掛け、女の鼻腔を覗き込むように首を捻じ曲げて話しかけている。女の脳にざわざわとした争いの音が響く。
 「友達がいないのかい?」
 「私が、みんなの代わりになったの」
 「身代わり?」
 男はつまらなそうに椅子をギチギチと鳴らした。すると尾てい骨から脊髄にかけて、心地より痺れが走る。カーテン越しの光の中で、男の眼鏡が川面のように乱反射している。
 「両親。親。私を産んで、育てた」
 「憎かったのかい?」
 「級友。つまらない。重苦しい。私を見ている。みんな」
 「いなくなればいいと思っていたのかい?」
 ひっきりなしに聞こえる音は、男の脊髄と革の匂いだ。ゆっくりと立ち上がると椅子は転がった。椅子はどこまでも転がり、テラス扉を叩いた。
 「おかえりなさい」
 女が固定された首を無理やり回し、テラス扉を見る。レースのカーテンが風になびく。青臭く、生暖かいものが顔を撫でる。幾億という微粒子が、彼女の顔を擦りつける。命の源、春の塵どもが。
 「親。私を産んで、育てて」
 「だから?」
 「捨てた」
 「復讐した?」
 「復讐?」
 男は女から離れて、転がった椅子を拾う。脚の長さがばらばらで、しかも床に対して垂直ではない。手に持つと、それは椅子には見えず、巨大な知恵の輪といったほうが近い。手の中でくるくると回す。その顫動が彼女の髪を引く。
 「おかえりなさい」
 椅子の座面の中央に、白い縁取りの穴があいている。男は女の顔をその中央に捕える。くっきりと白く際立つ女の顔は、時折滲みながら、男の網膜にその印象を刻み込む。
 「君は、愛されなかった」
 「私は、愛したのに」
 「君は、愛した」
 「私は、愛されなかった」
 女はのっぺりとした天井の漆喰を見つめながら、その向こうにある過去を見つめていた。
 男は女と頬を合わせ、おなじように天井を見つめた。床にしゃがみこんで、首だけを上方にねじっていると、まるで床が傾いているかのような幻惑を覚えた。
 「君は、愛していたね」
 男の声に女の頬が染まる。固定された手首がギチギチと鳴る。男はその様子に軽い嫉妬を覚える。
 「私の神様」
 「君は恐れていたね」
 「私は叱られた」
 「それはいつのことだったろうね」
 女の額に汗が滲む。男はポケットから白いハンカチーフを取り出し、そっと拭ってやる。
 「ヒグラシが幾重にも響いていて、それはまるで森の木々を覆った一葉一葉が顫動しているかのような錯覚を起こさせていました。小さな流れにその日最後の黄金の一束が届くと、水面で数千にも弾ける光、それまでもが、ヒグラシの声を奏でているかのようでした」
 「夏の終わりだね」
 「夏にも終わりがあるのだと、私はそのとき初めて気づいたような気がします。くっきりとした影を灼熱の地表に刻印しつつ歩く夏の大気の中ではすべてが揺らめいていました。私自身も朦朧とした意識のままに、あてどなく彷徨っているしかなかったような気がします」
 男は女の紡ぐ晩夏の暑気にあてられて、カラーを緩めた。ヒグラシの、いや夏の夕暮れが奏でる顫動音が、男の脳にも聞こえていた。清涼で軽やかな音は、空を染める朱から濃紺へ諧調に確かな統一を与えていた。
 「夏は一つの季節にすぎない。天体の運行上のある一期間にすぎない」
 「いいえ。いいえ」
 女は激しくかぶりを振る。髪が乱れ、金色に輝く。かすかに干草の香りが漂う。夏の光をいっぱい吸い込んだ彼女の髪は熱い。
 「あの年、夏はいったん終わりました。並木の下には幾億もの蝉の亡骸が乾いていました。私はそれを踏んで歩いていました。カサリカサリという草履の下では、蝉の亡骸がこなごなになって、漢方薬の材料のような粉末に変わり、斜めに吹き続ける風に浚われていくのを、私ははっきりと目撃しました。」
 「そして、透明な秋がきた」
 女は激しくかぶりを振った。汗で湿った髪が女の顔を斜めに横切る。男は慎重にその髪をつまみ、そっと耳の後ろにかけてやる。白い肌着からはもやもやと蒸気のようなものが立ち込めている。腹部は異常な起伏を繰り返し、革のベルトが緩み始めている。
 「秋がこなかった?」
 「秋はきました。きましたけれどほんの束の間で追われてしまいました」
 「ほんの束の間で追われた秋は、だが、きたのだろう?」
 「木々は紅葉する間もなく、葉を落とすしかなかった。種子をはぐくむ暇もないままに。冬の景色が熱い大気に揺らめいていました」
 「詳しく話してくれないか」