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みやこたまち
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そののちのこと(無間奈落)

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十三「男は信夫を冷やや〜何度も言い聞かせた」



 男は信夫を冷ややかに見下ろしていた。
「苦しむのは、君だ。常に。そう常にだよ。私は君を断罪しなければならなかった。しかし、あまりにも私は時間をかけすぎた。君のしてきたことは、すべて君自身の防衛本能といってもよかっただろう。しかし、そこに他人を巻き込んではいけなかった。
 君はあまりにも弱かった。弱さゆえに、自分自身の中に、その弱さそのものを飼っておくことができなかった。君はそれを抱えたまま生きてゆくことができなかった。しかし、そうした葛藤は誰の胸にもあるのだ。そのことを君は認めなかった。自分ほどの苦しみを抱えている者はいないと考えた。そう思いつづけることで、君にとってそのことは厳然たる事実となった。君はこう思ったのだ。『自分の抱える精神の欠乏を、周りの人間に分配してやろう。そうして皆が一様の苦しみを感じながら生きてゆけばいい』と。君の中には、選民意識がのさばっていたね。
 君は自分の病を身近にいる誰かに投影することができた。そのこと自体が異常だった。君の病は、君の近くにいる誰かが抱える病となった。君は彼らを献身的な姿勢で看病し、あるものは治癒させ、あるものは死に追いやった。そうやって君は自身の病巣を消滅させていった。いったい、君はどれだけの病巣を抱えていたのだろうね。自殺した者は、君の身代わりに自殺をしたのだ。入院して療養している者は、君の身代わりに一生を療養所のかび臭いベッドの上に固着されているのだ。君は自分の病を全て他人に肩代わりさせ、自分から切り離していった。その代償がこれだ。君の精神世界には、いったい何が残るというのだ。何も無い。そしてその虚無の陰圧によって、新たな病巣を吸引し続けている。その膨大な容積に、君の精神は破滅寸前になっていたのではないか。それこそが君に与えられた罰だったはずだ。しかし、君は、君自身が背負うべき最後の咎までをも、他人に転嫁した。それが、彼女だった」
 ベッドの中で彼女が大きく息をした。男はとっさに口をつぐんで、彼女の様子を見守った。しかし、起きる気遣いが無いと分かると再び信夫を見下ろした。信夫は、白衣の男を拝むような格好をしていた。土下座をしているようにもみえた。しかし、体の痛みと吐き気とは収まっている様子で、呼吸はゆったりとしていた。男の言葉を聞くまいとするように信夫は耳をふさいでいた。しかし男は別段声を荒げる風もなく、話を再開した。この声は信夫へ、直に、届いているはずだったからである。
「君は彼女を見て、自分の最後の苦痛を引き受けるにふさわしい人間だと判断した。案の定、彼女は君の苦しみを分かち合おうとしてくれた。涙も流していたかもしれない。君はペテン師だね。そうやって彼女に君の虚無感を染み込ませていったんだ。彼女が分かち合おうとしていたはずの君の苦しみが、彼女だけの苦しみへと変わっていくことに、彼女は気づくべくもなかっただろう。だが、君は気づいた。そう。もし、これがいままでの通り成功したとしたら、自分はいったいどうなってしまうのだろうか、とね。全くの虚無が引き起こす不安、焦燥、無力感、それらすら失った自分にいったい何が残るのだろうか、とね。病巣は首尾よく転移を完了してしまった。皮肉な話だ。自分の病巣を他人に感染させる君の手際は、自分でコントロールできる技術ではなくなっていたのだ。放っておけば、彼女は、君の最大の咎を飲み込んだまま自殺するだろう。だが、君はそれを阻止しなければならなくなった。なぜか。恐れたからだ。本当の虚無。陰圧ですら無い、真の虚無に満たされた自分というものを、君は想像することが出来なかった。そこが限界だったのさ。だから、君は彼女を手放すことが出来なくなった。彼女の行く末が君の未来そのものなのだからね。君は彼女を必死で救おうとした。何のためだった? 自分を生かすためだ。彼女を治療できたら、君はその精神を奪略しようと思っていたのだ。今までと逆にね。
 そういう操作をしながら、一方で君は、自分のアリバイ工作を怠らなかったね。君はいつだって悩める者の良き相談相手だった。だがそれだって本当かどうか分かりはしない。君は自分の中の暗部を統括して、別の人格を与え、追い出した。「多田一郎」。君の物語の中で、鬼になった男だ。君とみづはとの出会いなんて、よく出来ていたよ。特別推薦入学とはね。君らしい設定だったよ。君の中では全ての登場人物が矛盾なく、現在過去未来を通じて生活しているのだろうが、その一人一人を掘り下げてみたらどうだ? まるで支離滅裂ではないか。整合がとれなくなったり、それ以上の背景が形作れなくなった途端に、死んでしまったね、多くの人が。君の物語にはいつも血の匂いがしていた。それは多田のものじゃない。君自身のものだ。君が作った物語の中に、君以外の誰が入り込めるというのだ。学校も、母親も、多田家も、何もかもがみな、君が作り出した物語に過ぎない。それは君が、自分の弱さから逃れる言い訳のためだけに拵えたものだった」
 大きく息を吐く音がした。信夫だった。男は一瞬ぎょっとしたように目を見開いた。しかし、信夫の姿勢に変化は無かった。男はチチと舌を鳴らすと、話を続けた。
「多田一郎。全く安易な名前だった。おまけにひどい性格破綻者だ。そんな中でも、彼は自分のすべきことだけはしようと努力した。つまり、みづは、いや生贄を救い出すことだ。君のところに置いておいたら、どのみち助からない。そして君は多田一郎を仇と呼べるようになることで、虚無から逃れられるという寸法だ。みづはの記憶が消えるまでね。だが、そうはいかなかった。多田は形を変えてさまざまに君の世界に綻びを作ろうとした。そして多田一郎としての役割を拒否し、君自身を悔い改めさえる捨石になろうとした」
 信夫は何事かを呟き始めていた。しかし、その声は男の熱弁にかき消されてしまった。
「だが、君はなかなか馬脚をあらわさない。すんでのところで物語を構成しなおす。そのたびに多田にはさらに重い枷がかけられていき、とうとう鬼にさせられてしまった。だが、多田の苦労は無駄ではなかった。些細な破綻が君を脅かしていたのだ。だからこそ、君は、あの列車に乗ったのだからね」
 信夫は全身を駆け巡る熱に喘いでいた。甲高い音が鼓膜を切り裂こうとしていた。体が震え始め、胸の痛みがぶり返してきた。信夫は低くうめいた。
「君は綻びていく自分の世界が不安になった。だから多田一郎という鬼を憎んでいるだけでは済まなくなった。物語を補強し継続させるためにも、多田一郎と対決してこれを葬らなければならなくなった。君自身が作った物語に、君は立ち向かわなければならなくなったのだ。