月のあなた 下(3/4)
わたしが今見ているものは夢かもしれないけど、きっと夢でしか、幻想でしかないけれど、今、わたしにできることは、ほんとうに泣いて震えているだけなの?
「!」
目の前に、今も脈々と流れる、その紅い糸があった。
蜜柑は迷わずそれを掴んだ。
痛みをこらえ、引き抜こうとすると、白い石の周りを覆う、ごく薄いガラスの鉢の様な物が浮き出てくる。紅い糸は、肺血管のようにその鉢につながっていた。
たぶん、これが無ければ、この狼は。
蜜柑は拳を固めた。
狼は、一瞬でその意図を読み取った。
「娘、死ぬぞ――」
そして、その瞳に宿っている光を見て、口をつぐんだ。
「それがなに?」
美しい少女の瞳だった。
“ねえ、老い知らず――わたし、あの人に決めた。”
決意した乙女の持つ瞳だった。
そのために、男たちが死ぬところの輝き。
神がこの世で造り給うた、最高の美のひとつ。
人の意志と言う名の、それは砂漠にさえ咲き誇る華だった。
少女が固めた拳を振り上げる。
そのヒステリックな動作さえ、威厳に満ちて。
彼はもう、それを止めるすべを持たなかった。
それを見るために、それが愛しくて。
自分はむかし、“老い知らず”になったのだ。
「それがなに?」
言った瞬間、狼男は躊躇ったようだった。何故かは分からなかった。
でも押し切るなら今しか無かった。
(違う。)
弱い自分を振り切ってしまうなら今、この一瞬しか。
どうなってもいい。
こころを覆う壁を。
(あんこ――)
「ぱーんち!」
作品名:月のあなた 下(3/4) 作家名:熾(おき)