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みやこたまち
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そののちのこと(鬼)

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 小使いは、ずっと家に使えていた女中の娘だった。年は一郎よりも少し若いくらいで、育ちの卑しさが彼女を卑屈にしていた。多田はこのうろたえる娘をみて、再び衝動に駆られた。
 一郎は娘を引きこみ、力一杯抱いた。娘は考えもつかない出来事に対処できず、先ほどの狼狽がこの体験で相殺されたように静かだった。
 多田は娘の首筋に手をまわし、喉の辺りを片手で掴んだ。そして、ゆっくりと娘の口を吸った。娘は身体をピクリと震わせただけで、放心した。このため、一郎の母親の死は、少し遅れて医者に届けられた。死因は心臓発作とされた。

 顧問弁護士が、手続きを終え、一郎に今後の身の振り方を問うたのは、母親の葬儀の済んだ夜の事だった。
 「時に、お食事の方は、あの娘をお使いになるのですか?」
 弁護士はふと気づいたようにそう問うた。一郎は少し考えていたが、ああ、という風に肯いた。
 「あの娘ね。僕一人の事だから給仕をするには及ばない。まだ若い娘だったから、他へ奉公の口を見つけられるよう、母の知人に口をきいておいた。今後は自分の身を生かすだけで精一杯になるだろうから、あの娘を置いておくことも出来ないだろう」
 顧問弁護士は涙を拭った。
 「坊ちゃま。いささか性急と思われるかもしれませんが、この私にもう一働きさせてはいただけますまいか?」
 「なんだい?」
 「坊ちゃまのようにお出来になるお人が、経済的な理由で大学をお諦めになることのないように……」
 「お前がそんなことを気にする必要はない」
 「いいえ。坊ちゃまが選ばれる大学によっては、いかに私でも手が届きかねるのでございますが、もし、もし仮に、私の知っております学校で、坊ちゃまの将来のお役に立てるところがございましたらば、この年より最後のご奉公をさせていただきたいのです」
 一郎はうつむいた。
 「そんなにまで思ってくれるのか。もう、何の見かえりもやれないこんな若造のために、そこまで尽力してくれるというのか」
 その声は震え、途切れ途切れで、途中大きく呼吸を整えなければならなかった。老人と青年は母の霊前で夜を明かした。
 

 初日のオリエンテーションから、穂積信夫はとうとう一度も講義に出席しなかった。クラスの皆は、事故か何かで正常な生活が送れなくなったのだろうと噂し、その噂も消えていた。進級者名簿の中に、その名前が含まれているのを発見するまでは。
 多田一郎は、その名簿の1行を、しみでも見るかのように凝視した。
 翌年も、穂積信夫は大学に姿を現さなかった。そして、皆の予想にたがわず、専門過程への進級者名簿にもその名前は記載されていた。
 多田は、かねてから興味を持っていた心理学を専攻することに決めていた。その単位登録のため学生課に行くと、そこで一人の男が所作なさげに立っているのに出くわした。
 それが穂積信夫であることを、多田一郎は直感的に知った。せかせかと猫背でやってきた男が、多田一郎であるということを、穂積信夫は知らなかった。
 ただ一度、この時だけが、二人の出会いの場であり、時であった。