Hysteric Papillion 第６話
どうして落ちないの？？どうして、どうして？？
そんな私の視界を阻むように、薫さんの顔が近づく。
「うわっ？！」
「ほらほら、見ているばかりじゃなくて焼かないと食べれないわよ。働かざるもの食うべからずって昔から言うでしょ？」
そう言うと、『はい、君のノルマね』とかって、ポンと大きな皿を一枚渡されてしまった。
きれいなロースの部分。テキパキと焼き始めていた薫さんに圧倒されて、とりあえず返事する。
「あ、はい」
割り箸を割って、薫さんと一緒に、真っ赤になっている鉄あみの上に肉を並べ始めた。
テレビで見たマグマのように赤くなっている上に肉が乗ると、ジュウッという音と煙が出て、一瞬、コンロの火が燃え上がる。
しばらくすると、ポタポタと赤い液体が火の中に落ち始め、それに、注文の半分はタレに漬け込んであったらしく、焦げたいい匂いが食指を進ませ始めていた。
薫さんは、初体験の私を気遣ってくれてるのか、小皿にレモンを絞ってくれたり、壁際にあったタレを入れてくれたりしてくれた。
「食べながらゆっくりお話しましょう。君のことももっと知りたいし…」
なくなりかけたグラスに半分くらいビールを注ぎながら、薫さんがそう切り出してきた。
コンロから上がる白い煙のせいで、私たち２人の前には、薄いもやがかかっていた。
ちなみに、わたしの頭の中にはもやはかかっていなかった。
意外と実は酒に強かったのかもしれないな、意外な才能っていうのかわからないけど、才能発見？？
だけど、君の事をもっと知りたいという薫さんの言葉の裏には、ぜーったいに何かある。
こちらの情報だけ詮索されるのは、気持ちよくはない。
「あなたは何も教えてくれないのに？」
「あら、名前は教えたでしょ？」
こんな飄々とした言葉の後に、『そろそろ焼けてきたわよ』と付け足す。
「たったそれだっ…！」
キュルルル…グルルル…。
げ…ヤバイ。
壊れていた鳩時計が、再びこの匂いのせいで復活してしまったらしく、薫さんの目の前でしかも、５秒間もこんなにはしたなくて、情けない大きな音を立ててしまった。
薫さんも、私を見ながら、目をパチパチさせている。 合わせる顔がなくて、熟したリンゴみたいになった顔の筋肉を硬直させるしかなかった。
「…ッくくっ…ほら、文句言う前に食べないと。君のお腹の中の鳩さんが怒り出しちゃうでしょ？」
向こうは、必死に大声で笑いたいのを我慢するかのように、口を左手で押さえて笑いを押し殺していた。
必死に隠しているのは見え見え。さっきから、ピクピクと腕も胸も動いてるんだから。
こちらのヒクヒクした表情を悟られないように、いたって冷静を装って箸を持ち直した。
おいしい…。
ため息しか出ないよ、言葉に出来ない。
…でも、初めて食べた焼肉の味に感動する女子高生なんて、この世に何人いるだろう。
だけど、それが恥ずかしいなんて考えもしなかった。
半分以上生の肉は、口に入れるととろけるみたいに柔らかくて。
塩ミノっていうのは、こりこりしてあっさり味。
タンって牛の舌らしいんだけど、それだってシコシコッとして、レモンのさっぱり味とぴったり。
えへへ…幸せ♪
でも、さすが経験者。 薫さんはいろいろなことを知っていた。
エゴマっていう葉っぱに肉とおろしたニンニクをのせてくるりと巻いたらおいしいとか、少し唐辛子を効かせると飽きないとか…。
実際、本当においしかった。
「さすが年の功ですね！」
なんて私が言ってしまったせいで、ちょっとピキッときたらしい薫さんが少し上目遣いでこちらを見つめてきた。
「あら、心外ね。そんなこと言われるほど年じゃないわよ」
あれれ…。
かなり不機嫌。そろそろ年齢的にも、結婚とか何とか考え始めている年頃なのだろうか。たとえば、親から、行き遅れるなって言われてるとか…。
あ、でもこのお姉様には、結婚って関係ないっていったらないか…。
だから、興味しんしんに突っ込む。
「じゃあ、おいくつなんですか？」
そう言うと、珍しく薫さんはうろたえて、つまみ上げていたタンをポロッと取り落とした。
おっ…珍しい反応。
ちょっと考えている薫さんを横目に、私は、赤い肉汁の浮いていたあのドロッとしていたやつをターゲットにした。
焼く前から、一番興味のあったものだ。
「…ちょっと、ダメよ」
それを口に入れようとすると、薫さんからゲキが飛んできた。
「それ、半生じゃない。この２つ以外は、半生で食べると大変なことになるわよ」
そうなんだ、あぶなかったぁ…。
すぐに、鉄網の上に戻して、焼けるのを待つことに。
「…で、これ、どこなんですか？」
「え？ああ、これ？？これは…」
肉の部位をほとんどわかっていなかった私は、唐突に尋ねてみた。
薫さんは、『簡単、簡単』といったように、こともあろうか、私の左胸の上にポフッと手のひらを置いた。
まあ、胸がないので、ほとんど板に手をついたくらいの感触しか向こうも感じてなかっただろうけど、こっちは歯が噛み合わないくらい、焦りまくっていた。
「えー？！胸？？」
「違うわよ。今、私のせいでものすごく早く動いてるここはどこかな？」
…なるほどね。
薫さんは、心臓のことを言いたかったのか。小学生に言うような口調だったのが何だけど。
へえ…と感心して、自分の心臓の上に手を置くと、そこでようやく怒りのボルテージがＭＡＸに達した。
「って、何するんですか！？」
「何もしてないでしょ？君が勝手に勘違いしてるだけじゃない？それに、私なら、もし触りたいならもっと落ち着いたところで服の中に手、入れちゃうもの」
それで納得してしまう私も私だけど、納得せざるを得ないというのは、確かだった。
この人なら、こんなざわざわした中じゃ変なことしないか…。
いや、電車での一件もあるし…。
…って、今何を訊いてたんだっけ？ いつの間にか、薫さんにうやむやにされそうになっていた内容っていうと…。
「あ！そうだ、年だ！」
「ちぇっ、ごまかしたのに…」
チッと小さな舌打ちの音が、ビールを飲み込む薫さんの方から聞こえた。
「いくつなんですか？」
「当ててみて」
そう言われて、じーっと薫さんの動きを見つめた。
一言、きれいに尽きた。こういう砕けた感じの店での食事なのに、この人の食べ方は、何だかきれいだった。
箸で口に物を運ぶのも、その途中で髪をかきあげたりするのでさえも目を釘付けにしてしまう。
俗に言う『絵になる人』だった。
「…二十…七くらいかな」
「…どうして？」
少し間をおいて話しかけてきたということは、手ごたえありだ。 急に控えめになった、目を細めた上品な微笑みが、理由を訊いてくる。
作品名：Hysteric Papillion 第６話 作家名：奥谷紗耶